お菓子が纏う衣装と意匠「お菓子の包み紙」

 

シュガーロードの菓子を調べ始めたことがきっかけで、ここ最近は菓子について書かれた本を読むことが多くなった。
これも、菓子関連の本を探していた時に見つけた本。可愛らしい表紙に惹かれて思わず手にとった。

帯の文にあるように、著者が20年以上かけて集めた日本全国のお菓子屋の包み紙・箱・手提げ袋などの中から、特に選りすぐりの数々が紹介されている。

資生堂パーラーや虎屋など菓子店ごとに分けての紹介や、画家・デザイナーごとに分けての紹介もされている。今は閉店してしまった菓子店の包み紙も掲載されていた。

実はこの本の装丁にも、お菓子屋の包装紙のデザインがそのまま使われている。
表紙カバーは静岡県浜松市のまるたや洋菓子店、帯は長野県松本市の開運堂の包装紙。
特にまるたや洋菓子店の包装紙は色合いといい絵柄といい何とも言えない可愛らしさ。(後に知ったことだが、この包装紙、今から約60年前にデザインされたものらしい!全然古臭さを感じさせないデザイン!!)


画家で特に収録点数が多かったのが東郷青児、幾つもの店のお菓子のパッケージに彼の絵が使われている。
店主が青児の絵がすごく好きで、画家本人に直接依頼して包装紙やクッキー缶を作った菓子店もある。
青児が描く柔らかな色合いの女性の姿は 瀟洒な洋菓子とよく調和する。

竹久夢二の絵をお菓子のパッケージや包み紙に使っている菓子店は、岡山や会津若松など彼とゆかりのある土地に複数あるらしい。夢二のモダンな絵は和菓子・洋菓子 どちらとも合う。


著名画家やデザイナーによりつくられた包装紙やパッケージは勿論とても素敵なのだが、この本で取り上げられているのは、そういった”プロ”が作ったものではない作品も多い。

菓子店の主人や地元の印刷会社の職人さんなどが制作した包装紙にも、かわいいデザインのものがたくさんあることを知った。

地方の小さなお菓子屋さんにも、その店オリジナルの素敵な包装紙がある。
とるに足らないような些細なことかもしれないが、実はとても素晴らしいことなんじゃないだろうか。

遠い土地にあるお菓子屋の包み紙は、物珍しく見える所為もあってか、それに包まれているお菓子も何だかものすごく美味しそうな気がしてくるから不思議だ。


本の中には九州の菓子店の包装紙や手提げ袋もいくつか掲載されていた。福砂屋のカステラの包み紙、小浜食糧のクルス、千鳥屋本家のチロリアンの缶など。
どれも私が小さい頃からずっと変わらないデザインで今も売られ続けているお菓子だ。
こういった馴染みのあるお菓子は、パッケージを目にするだけで その味が記憶の中からすぐに蘇ってくる。

話がやや脱線するが、「ずっと変わらない」といえば東雲堂のにわかせんぺいのCM。
”♪たまにーはーケンカ―でー負ーけてこいー”
見るからに腕白そうな男の子がお母さんに叱られて、ケンカ相手の子の家にわかせんぺいを持って謝りに行くという内容。

あの男の子はきっともうおじさん(もしかしたらおじいさん?)になっているだろう。昭和の頃からずっと同じCMが使われているので解像度は低いし幅の狭い画面比率も昔のまま。

だけどもうここまでくると妙な愛着が湧いてきて、東雲堂が存在する限りずっとこのCMを使い続けてほしいとさえ思えてくる。


うちにも、食べ終わった後も捨てらずにとっているお菓子の箱がいくつかある。

この本にも載っていたが、DEMELのソリッドチョコレート猫ラベルの箱(個人的には「にゃんぺろチョコレート」と呼んでいる)。小さいサイズなのでこまごました文房具を入れている。

ANTIQUEのラスクの缶は台所で紅茶のティーバッグを入れている。
こんなかわいい缶は捨てることなんてできない。

そしてパッケージデザインが素敵な菓子店として私が挙げたいのは松翁軒。絵も素敵だけど、レトロ感漂う手書き風の文字もすごく好き 。


お菓子を作る人にとって、自分が心を込めて作ったお菓子は まるで我が子のような存在だろう。
それを包みいろどる包装紙には、大事な我が子にめいっぱいおしゃれをさせて店から送り出したい、という思いが込められているように思えてならない。

これから遠い場所に旅行することがあったら、その土地土地のお菓子屋さんで、箱や包み紙も楽しみながらお土産のお菓子を探してみたい。知らない土地を旅する楽しみや お菓子を見つける楽しみも一層増す気がする。


 お菓子の包み紙

シュガーロード紀行 地図・目次・参考文献(随時更新)

シュガーロードマップ


マップ内 黒線は長崎街道、●は来訪地


目次

はじめに: 「肥前の菓子」との出会い

【長崎】 2017/06
#001 長崎街道ここにはじまる
#002 鎮西大社 諏訪神社
#003 月見茶屋
#004 松森天満宮
#005 西山神社
#006 興福寺
#007 カステラ老舗巡り 福砂屋
#008 カステラ老舗巡り 松翁軒
#009 萬順のよりより
#010 長崎市の市章

【大村】 2017/07
#001 大村駅
#002 アーケード街と重なる大村宿
#003 玖島城址
#004 玖島城址の周辺
#005 龍神社
#006 大村寿司
#007 長崎地方の一口香

【諫早】 2017/07
#001 永昌代官所跡
#002 諫早神社
#003 諫早の眼鏡橋
#004 菓秀苑森長
#005 建替途中の諫早駅
#006 諫早と大村の黒おこし

【平戸】 2017/09
#001 日本の西の端
#002 松浦史料博物館
#003 閑雲亭と烏羽玉
#004 平戸オランダ商館
#005 蔦屋のカスドース
#006 熊屋の牛蒡餅
#007 平戸松浦氏・平戸と砂糖・鎮信流・百菓之図
#008 東西百菓之図

【嬉野】 2017/11
#001 俵坂関所跡を見に行く
#002 瑞光寺
#003 豊玉姫神社
#004 あめがたやのあめがた

【塩田】 2017/11
#001 八天神社
#002 塩田川の荷揚場跡
#003 塩田の長崎街道
#004 塩田の恵比須像
#005 塩田の仁王像
#006 杉光陶器店
#007 佐賀地方の逸口香

【小城】 2018/02
#001 小城駅と唐津線
#002 羊羹のまちと梧竹さん
#003 村岡総本舗本店と羊羹資料館
#004 須賀神社
#005 深川家揚羽の蝶
#006 小城公園の桜
#007 小城羊羹とその歴史

【牛津】 2018/02
#001 牛津駅
#002 九州の百貨店王と牛津町会館・牛津赤レンガ館

【佐賀】 2018/04
#001 銘菓めぐりの旅
#002 佐嘉神社
#003 焼きたて丸ぼうろを試食
#004 伊勢神社
#005 六座町
#006 築地反射炉跡
#007 佐賀藩の御菓子司 鶴屋
#008 鶴屋の丸房露 北島の丸芳露
#009 鶴屋の肥前ケシアド
#010 森永太一郎と江崎利一

【唐津】 2018/07
#001 菜畑遺跡
#002 唐津曳山と唐津神社
#003 唐津城
#004 旧唐津銀行
#005 松露饅頭

【浜崎】 2018/07
#001 浜崎のけえらん

【博多】 2018/08
#001 鴻臚館と大宰府官道
#002 承天寺の御饅頭所之碑
#003 豊臣秀吉と神屋宗湛・太閤町割・利休釜掛之松
#004 筥崎宮に残る千利休の石灯篭
#005 福岡藩の御菓子司と鶏卵素麺

【太宰府】 2018/08
#001 お菓子の神様の神社
#002 お石茶屋
#003 太宰府の梅ヶ枝餅

【飯塚】 2018/11
#001 ひよ子の工場見学に行く
#002 旧 伊藤伝右衛門邸
#003 飯塚市街に残る長崎街道の面影
#004 飯塚の名のおこり 曩祖八幡宮・飯の山
#005 千鳥屋本家の千鳥饅頭・千鳥サブレ
#006 さかえ屋のすくのかめ

【小倉】 2019/03
#001 小倉城と常盤橋
#002 常盤橋周辺の旧街道
#003 小倉駅前に残る門司往還の痕跡
#004 軍都小倉と栗饅頭
#005 森鴎外の小倉日記
#006 八幡製鐵所と鐵平糖
#007 大里・門司・門司港

【熊本】 2019/06
#001 細川忠興と加勢以多
#002 加藤清正と朝鮮飴(長生飴)
#003 SWISSのリキュールマロン


参考文献

● 肥前の菓子―シュガーロード長崎街道を行く
村岡安廣 著/佐賀新聞社

● 九州文化図録選書1 長崎街道 大里・小倉と筑前六宿
図書出版のぶ工房

● 九州文化図録選書2 長崎街道 肥前佐賀路
図書出版のぶ工房

● 九州文化図録選書3 長崎街道 肥前長崎路と多良海道
図書出版のぶ工房

● 九州文化図録選書4 平戸街道 江迎筋と御厨筋
図書出版のぶ工房

● 九州文化図録選書5 唐津街道 豊前筑前福岡路
図書出版のぶ工房

● 九州文化図録選書6 唐津街道 肥前佐賀長崎路から時津街道へ
図書出版のぶ工房

● 江戸時代の平戸の菓子
江後廸子・つたや総本家

● 村岡総本舗 羊羹資料館案内
村岡総本舗

● 和菓子 第九号 特集-九州
株式会社虎屋 虎屋文庫

● 海路 第三号 特集-九州と菓子
海鳥舎

● 砂糖の通った道 菓子から見た社会史
八百啓介/弦書房

● 筑紫菓匠五十二萬石如水庵 創業四二〇年の軌跡
荻野忠行 著・森恍次郎 監修/梓書院

● 佐賀の街道見聞録
川上茂治/横蔵亭

シュガーロード紀行 熊本#002 加藤清正と朝鮮飴(長生飴)

加勢以多と並んで熊本に古くからあるお菓子として挙げておきたいのが朝鮮飴。

朝鮮飴(ちょうせんあめ)は、江戸時代から受け継がれる熊本県の伝統銘菓である。
求肥飴の一種とされる。餅米と水飴と砂糖を独自の製法でこね合わせて長方形に型切りし片栗粉をまぶしている。上品な甘さともちもちした食感を持つ滋養豊かで日持ちする和菓子である。

安土桃山時代、老舗園田屋の開祖である園田武衛門により造られていた当初は、長生飴または肥後飴と呼ばれていた。
文禄・慶長の役が起きると、肥後国の城主であった加藤清正がこの飴を兵糧目録に入れて朝鮮半島へ出兵し、長期の携行でも風味が損なわれず兵士達の英気を養うのに大いに役立った事から、以後は朝鮮飴と呼ばれるようになったという。

(中略)

江戸時代中期までは肥後藩が買い上げる御用物とされ、製法も管理されて一般への流通は許されていなかった。代々の肥後藩主は朝鮮飴を江戸幕府と朝廷への献上品、または諸大名への贈答品としても用いていた。

Wikipedia 朝鮮飴

加勢以多は細川忠興ゆかりのお菓子だったが、こちらは加藤清正ゆかりのお菓子と言える。

朝鮮飴はWikipediaの解説にも名前が出てくる園田屋さんが一番の老舗とのこと、現在のご店主で19代目になるそう。2018年には115年ぶりの新商品「れもん飴」を発売したことで話題になっていた。


ということで園田屋さんに朝鮮飴を買いに行ってみる。


が、閉まっていた…。

どうやら訪れた日は定休日だった模様。建物だけ写真に納めたが、周囲にビルが建ち並ぶ街中で古めかしい日本家屋の店舗がひときわ目を惹いた。



商品は帰り際に立ち寄った熊本駅のお土産売り場で売られているのを見つけて無事に入手できた。
箱には加藤家の家紋である蛇の目紋・桔梗紋と熊本城の絵が描かれいる。


写真では真っ白に写ってしまってるのでわかりづらいが、箱を開けるとかたくり粉に覆われた朝鮮飴がみっちり詰まっている。


粉を払い落とすとこんな感じ。やや黄色味を帯びた求肥のお餅が一口大の大きさに切り分けられている。食べてみると柔らかで大変美味しい。口に広がるやさしい甘みは確かに飴を思わせる。

ボンタンアメにも似た食感だと思ったが、実はボンタンアメは朝鮮飴から着想を得て作られた経緯があるらしい。

(来訪日:2019/06/23)


シュガーロード紀行 熊本#001 細川忠興と加勢以多

謎のお菓子 ”カセイタ”

”カセイタ”というお菓子の存在をはじめて知ったのは、今から7~8年前、オノ・ナツメさんの「つらつらわらじ」を読んでいた時のことだった。

(「つらつらわらじ」は、江戸時代 備中岡山藩のお殿様が岡山から江戸まで参勤交代を行う道中を描いた漫画で、”カセイタ” は大阪の豪商がお殿様に献上するお菓子として登場する 。)

作中にはこのような絵が一コマあるだけ。
見た目は何だか平べったいサンドウィッチのようにも見える。

熊本のお菓子であること、漢字で表記すると”加勢以多”になることは知ることができたが、それ以上の詳しい記述はない。何で出来ているのか、どんな味なのかもわからなかったけど、風変わりな響きもあって、このお菓子の名前は妙に記憶に残るものだった。

それから数年後、「肥前の菓子」を読んだ際に、この”カセイタ”に再び出会うことになる。

本を読んで知ったが、実は”カセイタ”もシュガーロードと非常に深い関係のあるお菓子だった。
これは是非現地に出向いて入手したいと思い、熊本に出かけることにする。

熊本へ

というわけで、初夏の某日 熊本へやって来た。
博多からは九州新幹線で約50分ほどで到着する。

これは熊本市役所の展望ロビーから見る修復工事中の熊本城。

2,019年6月現在、熊本城はいまだ広範囲にわたり立ち入りができない状況が続いている。
崩れた石垣の石ひとつひとつを全て元通りに組み直すなど、気の遠くなるような修復作業が行われている最中だが、こうやって少しづつでもお城がもとの姿に戻っていく様子は見ていて嬉しくなる。

”カセイタ”=加勢以多

“カセイタ”は、この熊本城を居城とした大名 細川家と深い関連がある。

「肥前の菓子」には、”カセイタ”についてこう書かれている。

“加勢以多”は、文化の十字路肥前からもたらされたものでこの起源はポルトガルにあり、江戸期は全国に存在していた。
マルメロという果実の果肉を練り固めたもので、その異国情緒あふれる味わいを肥後熊本の細川三斉公が好み熊本に持ち帰ったものである。
加勢以多は、かせ板とも書き語源はポルトガル語の「カイシャダ・マルメラーダ」、すなわち「マルメラーダの箱」が日本語に置き換えられたと伝えられている。

不思議な響きをもつ名前はポルトガル語が変化したものだったと知り、なるほどと思った。

細川三斉=忠興といえば、熊本の前に訪れた小倉とも関連がある。

忠興は関ヶ原の戦いの後 豊前国を拝領、それまでは小さな城だった小倉城を約七年かけて大きな城に改築し居城とした。
その後家督を子の忠利に譲って隠居、名前を三斉と改める。
忠利の代に細川家は豊前小倉から肥後熊本に移封、石高も四十万石から五十四万石に加増された。

忠興は戦国の乱世を生き抜いた武将でもあり、和歌や学問に秀でた当代きっての文化人でもあった。特に茶道については、千利休の高弟の一人にも数えられるほど造詣が深い人物だった。

加勢以多は忠興が茶菓子として重用したことで熊本に根付き、のちに幕府への献上品や諸大名への贈答品としても用いられた。
原料となるマルメロは日本になかったため、カリンや梨で代用して作られていたらしい。

写真はWikipediaより。左がマルメロ、右がカリン。

分類上は全く別の属種だが、こうやって並べて見ると外見はよく似ているかもしれない…。

加勢以多は長らく熊本の山城屋という菓子店が生産していたそうだが、山城屋は昭和60年代に廃業、製造も一時途絶えた時期があった。その後平成に入りお菓子の香梅さんが製造を継承、加勢以多は復活し現在に至っているとのこと。

こちらがお菓子の香梅さんの白山本店。
「誉の陣太鼓」や「武者がえし」でも知られる熊本の菓子店。ここで加勢以多を購入する。

本店の中には喫茶スペースも併設されている。これはひと休みがてら店内で食べた陣太鼓ソフト。
陣太鼓に使用されている大納言あずきと求肥が入ってる。限られた店舗で提供されている商品らしい。


入手した加勢以多を実食してみたい。

まるで長持を思わせるような濃紺の箱に入っていて、掛け紙には「古今伝授の間香梅」とある。
水前寺公園にある古今伝授の間と隣接する茶屋でも、この菓子がお茶とともに提供されているらしい。
(詳しくはこちら→ 古今伝授の間 – お菓子の香梅 )

箱を開けると中には紙にくるまれた小さくて薄いお菓子が詰まっていた。
表面の白い部分はもち米で作ったおぼろ種、細川家の家紋である九曜紋の焼印が押され、なかには砂糖で煮て餡状にしたカリンが挟んである。

食べてみると、果実の爽やかな酸味が広がる。
カリンという普段あまり食べたことのない果物でもあるせいか、和菓子としては新鮮な味わいに感じた。

(来訪日:2019/06/23)


シュガーロード紀行 小倉#006 八幡製鐵所と鐵平糖

小倉でも江戸時代から様々な菓子が作られていたが、現在よく知られている小倉銘菓の多くが誕生したのが明治-大正期。

近代小倉の発展は、明治8年(1875年)陸軍の第十四師団が旧小倉城内に置かれたことにはじまる。大きな軍隊の駐屯地であったため次第に軍需産業も盛んになっていく。

また、明治34年(1901年)に官営の製鉄所として操業を開始した八幡製鐵所に代表されるように鉄工業のまちとしても栄えた。

軍都そして工業都市として人口が増え、ちょうど製菓原料の砂糖や小麦粉が大量に流通するようになった時期だったことも重なり、明治から大正頃には小倉でもたくさんの菓子が製造・消費されるようになった。

(実は九州で一番最初の政令指定都市に指定されたのは北九州市。このことからも小倉がいかに人口が多く都市として発展していたかが窺えると思う。)

近代に産業の発展に伴って菓子文化が発展していく様子は、地理的にも非常に近い筑豊地方とよく似ている気がする。

鐵平糖

八幡にある千草ホテルと入江製菓というお菓子メーカーの二社がコラボして生まれた”鉄の味がする”金平糖、その名も「鐵平糖(てっぺいとう)」。
鉄の味がするのは、同じ八幡地区にある八幡製鐵所にちなんで作られたからだそう。

このお菓子の誕生の経緯は是非千草ホテルさんのブログ記事にてご覧いただきたい。
「鐵平糖(てっぺいとう)」誕生秘話|千草ブログ

見た目も少し錆びた赤っぽい鉄の色。

食べてみると…
口に入れた瞬間はちょっと酸っぱい味がする。鉄の味と言われればそんな気もするような…。しばらく口に入れていると甘い金平糖の味に変わってくる。

時代が前後するが、金平糖はスペインのお菓子「コンフェイト」が安土桃山時代に南蛮文化の一つとして日本に伝来したものとのこと。

「肥前の菓子」によると、外国人宣教師が書き残した当時の記録(ルイス・フロイス「大日本史」)には、織田信長にも金平糖が献上され、信長は大変気に入って食べていた様子が記されているそう。

金平糖は伝来した頃から現在に至るまで、その製法はほとんど変わっていない。
ゆっくりと回転する釜の中に芥子の種や胡麻粒など核となるものを入れ、煮溶かした砂糖の液を根気よく掛け続け、数日から1~2週間ほどかけて徐々に大きな粒にしていく。

作るのに大変手間のかかるお菓子で、あの特徴的なツノをきれいに作るには職人の熟練の技と勘が必要とのこと。

九州にも多くあった金平糖の製造会社だが廃業などで次第になくなり、入江製菓さんは現在では数少ない製造元となっている。創業は昭和9年の老舗、金平糖をはじめ様々な飴を製造している。

金平糖の通販サイト いろは屋の金平糖

シュガーロード紀行 小倉#005 森鴎外と小倉日記

大正12年に小倉で創業した菓子舗、つる平が販売しているお菓子、「小倉日記」。
商品名は、 明治時代に軍医監としてこの地に赴任した森 林太郎=森 鴎外の同名の著作に由来する。
パッケージデザインもレトロでいい感じ。


小ぶりなバウムクーヘンの中にクリームが入っている。
(何故バウムクーヘンなのかというと、鴎外が留学したドイツのお菓子に因んで、とのことらしい。)

商品自体は昭和40年代に販売されたものなので、昔ながらの伝統的な菓子ではないが、食べてすごく美味しかったお菓子なので紹介しておきたい。
小倉北区にある鴎外旧宅の来訪記はいずれまた改めてUPする予定。

つる平 | 北九州銘菓 「ぽんつく」 「小倉日記」 

シュガーロード紀行 飯塚#001 ひよ子の工場見学に行く

以前からずっと気になっていた飯塚市穂波にあるひよ子の工場の見学。
この紀行もちょうど飯塚まで進んできたこともあり、この機会に行ってみることにした。

工場見学の概要はひよ子のHP に記載されている。
電話で直接申し込むが、この工場見学は常に人気らしく1~2ケ月くらい先でないと予約が取れない。
私の場合も9月に申し込みをしたが、見学の予約が取れたのは11月の日程だった。


工場見学当日。よく晴れていて11月と思えないほど気温も高い。
午前9時台、福北ゆたか線で博多から工場最寄り駅の天道まで向かう。(天道は「てんとう」と読む。)

天道駅から工場までは徒歩で向かう。
しばらく歩くと穂波川が現れるが、この川の向こうにひよ子の穂波工場が見えてくる。

GoogleMapのルート検索では約15分と表示されていたが、実際にはもうちょっとかかった。

工場に到着。建物も大きいが看板も大きい。

受付を済ませ、消毒液で手を消毒していよいよ工場見学が始まる。
1グループ約20人ほどで、案内役の社員さんの解説を聞きながら工場内の各工程をガラス窓越しに見学して行く。


この工場では、ほぼ全工程をオートメーション化して主にひよ子とひよこサブレ―の生産が行われている。

今回の見学で最大の発見だったのは、「ひよ子はおしりから作られる」ということ。

餡を生地で包んだ次の工程でひよこ形に成形され、おしり側を進行方向に向けてレーンの上を進んで行く。おしりから進んでいくのは、頭を前にするよりもこのほうが安定し、途中で倒れたりしにくいためらしい。

オーブンに入っていくのもおしりから。
たくさんのひよ子が行進するように進んでいくさまは壮観。

15分ほどかけて大きなオーブンの中を通過すると、ほどよく焼きあがって出てくる。
目を入れ大きな螺旋状の装置の中でゆっくり冷まして、専用の機械で手早く1個づつ紙に包まれる。

最終工程の箱に詰める作業は人の手で。

この工場でつくられたひよ子は、このあと直営店をはじめ九州一円に出荷されていく。


工場見学が終了すると、できたてのひよ子を試食することが出来る。

工場から直接持ってきたひよ子を社員さんが見学者に配ってくれる。
手のひらに載せるとまだあたたかいので、できたてというより「生まれたて」と言いたくなる。

できたてのひよ子は皮の部分がちょっとサクッとした食感ですごく美味しかった。
普段食べるひよ子は製造後数日経って皮と餡がしっとりなじんだものなので、できたてひよ子はまさにここでしか食べられない。


工場には直売所も併設されている。

この直売所は昭和初期の飯塚本店を模したものだそう。よく見ると電話番号も七四五(ひよこ)番になっている。商品を選んでいる間も、常連らしい地元のお客さんが何人も来店して、1箱2箱とひよ子を買っていく。

これも直売所で売られていたシャーベット甘酒。
気温が高かった日だったこともあり、冷たいものがおいしそうに感じられて買ってみた。

直売所前に茶店風の休憩スペースがあったので、そこでさっそく頂く。
甘酒のシャーベットは初めて食べたが、甘みも優しくさっぱりとした食感だった。


こちらが直売所で買ってきたお菓子。バラ売りされている商品も多かったので色々買ってみた。

「ひよこれいと」や「ピィナンシェ」はネーミングにやや無理矢理感もあるが、商品の名前も形もまさにひよこ尽くしといった感じ。

今回は季節限定で「栗ひよ子」が販売されていたので、そちらを購入した。

製造工程を見た後だと、ひよ子の姿にも一層愛着めいた感情がわいてくる。

皮の生地には九州産小麦、栗は熊本産和栗が使用されている。白餡に栗が加わるとクリーミーさが一段と増す感じだった。


工場見学中に見た会社の歴史に関する展示や、社員さんによるひよ子についての解説も興味深い内容だった。

現在の株式会社ひよ子は、明治に飯塚で創業した吉野堂というお菓子屋がはじまりにあたる。
ひよ子の会社サイトを見るとこういう記述があった。

福岡藩・藩祖黒田官兵衛公が福岡入りする際に、八木山峠の石坂茶屋に逗留し、自ら宰領された「博多往還」。
この折の協力とおもてなしによりお褒めの言葉とともに石坂の姓を頂いたと伝えられています。

八木山の地で蒔かれたおもてなしの芽は、初代・石坂直吉が飯塚本町に菓子舗吉野堂を新たに開店することにより花開いたと言えるでしょう。

「菓子舗𠮷野堂創業120年の歩み」より引用

上記の文中に出てきた博多往還・八木山峠・飯塚の位置関係を地図上で見てみるとこうなる。

博多往還は日田街道とも呼ばれ、博多と天領日田をつないだ街道。
博多往還の途中にあるのが八木山峠、その八木山峠を越えた先、博多往還と長崎街道がちょうど交差する位置にあったのが飯塚だった。

今をさかのぼること400年以上前から、道がむすんだ縁が契機となって、石坂家の歴史が始まったことになる。

また、ひよ子が飯塚銘菓から福岡銘菓に、さらに東京銘菓になってゆく経緯にも、交通網の発達が大きく関連している。

ひよ子が福岡 天神の一等地に店舗を開店したのが昭和32年、その前年の昭和31年は東京ー博多間を走る特急「あさかぜ」が運行を開始した年だった。
そして1回目の東京オリンピックが開催され東海道新幹線が走り始めた昭和39年には関東に工場を建設している。

これまでになかった大きな人の流れが発生し、お土産の需要も高まるタイミングをうまくつかまえて福岡・東京の定番みやげとなっていったのが面白い。

こういった背景を知ると、やはりお菓子はその地域のもつ特徴や歴史、経済や物流などと深く関係しているのだな、と改めて思う。

ひよ子の歴史は、会社のHP上でも読むことが出来る。
吉野堂物語 http://www.hiyoko.co.jp/yoshinodo/index.html

(来訪日:2018/11/10)

シュガーロード紀行 福岡博多#005 福岡藩の御菓子司と鶏卵素麺

江戸時代の福岡藩にも、御菓子司をつとめた菓子屋が複数存在した。
現在も営業を続ける菓子屋の一つが松屋。

初代松屋当主、松屋利右衛門は長崎の出島を訪れた際、鶏卵素麺の製法を伝授されたと言われています。
のち博多へ戻った松屋利右衛門は鶏卵素麺の製造販売を開始、時は江戸時代延宝元年(1673年)の事でした。
この延宝年間には福岡藩主黒田光之に鶏卵素麺を献上、以後黒田藩の御用菓子商となり現在に至っています。

松屋HPより引用


(詳細はよく調べきれなかったが、松屋は現在「元祖鶏卵素麺 松屋」と「松屋利右衛門」の二社がある模様。今回訪れたのは西区橋本に本店と工場がある「元祖鶏卵素麺 松屋」)

建物の店名の横には黒田家の家紋である藤巴も掲げられている。

ここで鶏卵素麺を購入した。

名前だけは以前から知っていたが、実はこのお菓子を食べるのは初めて。

このお菓子のルーツは、ポルトガルの「フィオス・デ・オヴォス」(fios de ovos、卵の糸)というお菓子だそう。「肥前の菓子」には鶏卵素麺についてこう書かれている。

煮えた砂糖の中に、じょうごのような器具を使って卵黄を流し込み、素麺のように細く固めた。
(中略)
福岡県の松屋菓子舗が約四百年前に長崎で手法を学び、黒田藩の指導や経済支援を受け秘伝を守ってきた。やはり上流階級が好んで食した。

原材料の表記を見ると、卵と砂糖だけ!
保存料は入っていないので賞味期間はやや短かめ。


この鮮やかな黄色の色合いを見て思い出すのは平戸のカスドース。
どちらもポルトガルに由来し、卵と砂糖をふんだんに使うことや、熱した糖蜜にくぐらせることなど、共通点の多い菓子と言える。

素麺の束のような固まりを一口大に切って頂く。
食べた感想は…「うーん、甘い」
もともとお茶の席で食されてきたお菓子なので、やはりお茶と一緒に少量を頂くのが一番美味しい食べ方のよう。

江戸時代にも鶏卵は食べられてはいたが、流通量が少なく薬のような扱いの高級食材だったので、原料となる大量の卵を確保すること自体が容易ではなかったと思われる。鶏卵素麺の製法は福岡藩以外にも伝わった形跡があるが、こういった原料調達の困難さもあって製造が途絶えてしまったところが多かったらしい。

福岡藩では大名家の支援や保護があったからこそ、かろうじて作り続けることのできたお菓子だったのではと思う。

シュガーロード紀行 佐賀#009 鶴屋の肥前ケシアド

鶴屋に行った際に丸房露などと一緒に買ったお菓子。

一緒に入れてもらったお菓子のしおりにはこう書かれている。

当家に伝わる江戸中期の宝暦五年(1755)頃に編纂された『菓子仕方控覚』という「鶴屋文書」の中に「けし跡(けしあど)」というポルトガル伝来の南蛮菓子があります。

これは、ポルトガルの「ケイジャーダ」というチーズ菓子のことで「文書」のレシピには当時入手困難だったチーズの代わりにカボチャのあんを使用したことが記されています。

この度、当時のレシピをもとにしてチーズを練りこんで、現代風にアレンジして「けし跡」を「肥前ケシアド」として復刻いたしました。

「肥前の菓子」にもケイジャーダについての記述があった。

リスボン郊外の古都シントラの伝統銘菓で、バターやチーズのあんを皮でくるむ。

現地では昔ながらの素朴なお菓子として、家庭でも気軽に作られ親しまれているとのこと。
ネットで画像検索してみたところ、見た目はエッグタルトにも似ている。

ケイジャーダは日本に伝来した後「けさちいな」と呼ばれる菓子になったらしい。
けさちいなは江戸期にはお殿様へ献上するために作られていたこともあったようだが、カステラや丸ぼうろと違い、広く浸透することなく製造が途絶えてしまった。


「肥前ケシアド」は、見た目はタルトやパイのような焼き菓子というよりもお饅頭に見える。
割ってみたところもお饅頭っぽい。

食べてみると、かぼちゃ風味の餡もとても滑らかでしっとりした食感。

チーズの代わりにかぼちゃを使ったというのは、牛乳や乳製品にほぼ縁のなかった江戸時代の日本人が一生懸命考えた結果なんだろうなぁと思う。確かにかぼちゃのクリーミーな食感は、日本にある野菜の中では一番チーズに近い(?)気がする。


しかし改めて見てみると、見た目も呼び名も、もとのケイジャーダからは全く別物のお菓子になっている。

だがその変化こそが面白いのはないかとも思う。
お菓子が時間や場所を超えて伝播・継承されていくうちに、その土地の風土にあわせて「成るべくしてこう成った」ということ。オリジナルからは遠ざかるかもしれないが、原料や味も少しづつ変化して、その土地ならではの新しい味わいが生まれることも面白い。


シュガーロード紀行 佐賀#001 銘菓めぐりの旅

佐賀行きの前にネットで下調べをしていたら、観光客向けに佐賀の銘菓巡りのクーポンチケットがあるのを知った。市内の4店舗のお菓子がお得に楽しめるとのこと。

佐賀駅に着き、構内にある観光案内所で¥500でクーポンを購入。
パンフレットとチケットを貰う。


【一軒目:村岡屋】

村岡屋は、もとは小城の村岡総本舗の分家で、佐賀市内に出て創業した菓子店。中央通り沿いにあるこの店舗が本店。

ここでは「さが錦」を頂いた。お店では紙袋に入れて渡してくださった。


【二軒目:八頭司伝吉本舗】

八頭司伝吉は”やとうじでんきち”と読む。小城羊羹のお店で大正時代の創業だそう。(そういえば小城に行った時に本店を見かけた。)

こちらのお店では店員さんが淹れてくださったお茶と羊羹が出てきた。
このお店の羊羹は初めて食べたけれど、表面の結晶化した砂糖がサクサクしていてすごく美味しい。

お茶と一緒に出てきたものとは別にこちらの羊羹も頂いた。


【三軒目:村岡総本舗】

こちらは村岡総本舗の唐人町店。入り口にも銘菓めぐりのポスターが貼ってある。

ここでは「とら焼き宗歓」を頂く。
ちょうど小腹も空いていたので、これはセルフサービスのお茶と一緒に店内のテーブルで頂いた。
確かに皮の模様が虎柄っぽい感じ。中に入っているのが紅煉の餡で見た目にも華やか、生地がどら焼きよりもふわふわしていて柔らかい。


【四軒目:北島】

丸ぼうろのお店の代表格の1つ。店内には和菓子以外にもクッキーや洋菓子も並んでいる。

ここでは丸ぼうろとごまぼうろを頂いた。
ごまぼうろはパリッとしていておせんべいに近い食感。ごまの粒と風味も香ばしい。
そしてスタンプがパックマンぽい。北島のHPによると“マルロー”という丸ぼうろをイメージした北島のキャラクターとのこと。


このクーポンは発行当日の1日限り有効。
4つのお店はすべて中央通り沿いにあるので廻りやすかった。どのお店もイートインスペースがあるのでその場でお菓子を頂くこともできる。街を歩きまわる途中の休憩にもいいかもしれない。

(来訪日:2018/04/22)