「ドグラ・マグラ」はなぜ読まれづらいのか

「ドグラ・マグラ」はなぜ読まれづらいのか

以前から気になっていたことがある。
「ドグラ・マグラ」は何となく読まれづらい、読了されづらい傾向があるということだ。


読書会でお会いした方や普段から本をよく読むという方とお話しする機会があったときに「ドグラ・マグラを読んだことがあるか」という質問をした際、返ってきた答えは

・そもそもドグラ・マグラを知らない
・名前は聞いたことがあるが読んだことはない
・読みかけたが途中で挫折した

といった意見が殆どで、最後まで読んだという方は1、2名だった。
本好き、読書好きの方達のあいだでも読まれづらい傾向にあるのではないか。

Twitterでもアンケートを行ってみることにした。
結果はこちら。
(回答にご協力いただいた皆様ありがとうございました。)


私が設定した選択肢にも問題があったので回答結果がやや偏ったものになった感もあるがそれはちょっと置いておいて、このアンケート回答も参考に、冒頭に提起した課題を考えてみたいと思う。


【読まれづらくしている要因は何なのか】

要因として考えられるものを挙げて考察してみたいと思う。

  1. 装丁や表紙、キャッチコピー
  2. 地方色が強い(地名・方言等)
  3. 長い
  4. 物語の構成が複雑、物語全体の時間の流れが掴みづらい

【 1.装丁や表紙、キャッチコピー】

作品単体で読める本として現在一番多く市場に出回っているのは角川文庫版の「ドグラ・マグラ」だろう。

表紙に使用されているのは米倉斉加年氏による絵(記事冒頭の写真)。
繊細で美しいが、同時に異様な妖しさ&怪しさを醸し出している絵だ。人によってはこの表紙絵であるがゆえに、手にとるのも躊躇う人もいるのではないか。

実際、アンケートの際にも「表紙を『かまわぬ』みたいな柄にするだけで、読者が100人くらい増えるのではと思っている」というご意見があった。
(そういった読者の意向を汲んでかどうかは不明だが、「少女地獄」など角川文庫版夢野久作作品は、従来の米倉氏装画から模様柄の表紙へ変更されているものもある。)

文庫本の場合、表紙の次に視線が行くのはカバーや帯に書かれた文だと思うが、角川版のカバー文は以下のようになっている。

「ドグラ・マグラ」は、昭和10年1500枚の書き下ろし作品として出版され、読書界の大きな話題を呼んだが、常人の頭では考えられぬ、余りに奇抜な内容のため、毀誉褒貶が相半ばし、今日にいたるも変わらない。
(中略)
これを読む者は一度は精神に異常をきたす伝えられる、一大奇書。

”読む者は一度は精神に異常をきたす”というのは、「ドグラ・マグラ」がどんな本なのかを紹介する際に最もよく使われているキャッチコピーだと思う。

このキャッチコピーの元となったのは作品中にある以下の一節だろう。↓

これを読んだものは最小限、二三回は読み直させられているようです。
そうして、やっと全体の機構がわかると同時に、自分の脳髄が発狂しそうになっている事に気が付いたと云っております。(ドグラ・マグラ本文より)

作者はある種のユーモアも交えてこう表現したのだと思うが、後年この一節がやや誇張されてしまい、「ドグラ・マグラ」に対する何だかおどろおどろしい先入観が形成される要因となっているのではないだろうか。

※但し、この表紙やキャッチコピーに惹かれて「ドグラ・マグラ」を手にとる読者も存在すると思われるので、一概にマイナス要因になっているとは言えない気もする。


【 2.地方色が強い(方言等)】

作中には福岡の地名や地元の方言も出てくるが、作品全体から見ればそういった地方色の強い記述が占める量は多くはないし、福岡地方の方言もさほど難解なものでもないので、これが読者を遠ざける大きな要因になっているとは思えない。

むしろ夢野久作品における地方色の強さは、イコール作品の特色・魅力となっているのではないか。


【 3.長い 】

作者からすれば、作品を構成するために必要な要素を盛り込んでいたら最終的に出来上がった作品がこの長さになってしまったわけなので、これについては論じても仕方がない気がする。
また、原稿用紙換算何百枚分くらいの作品からを「長い」と感じるかは、読む人によって個人差もあるだろう。

ただ、長編になればなる程、途中で放棄する人も増加する傾向にあることは確かなので、読了の難易度をあげている要因の一つにはなっていると思う。


【 4.物語の構成が複雑、物語全体の時間の流れが掴みづらい 】

作品は当初「私」の視点から語られているが、途中で膨大な量の資料を挟んだり、その資料の構成も複雑で資料の中にさらに資料が入れ子になっていたり、語り手が複数登場し頻繁に入れ替わっていたり、時間の流れが曖昧になる箇所があったりで、それらが多くの読者を混乱に陥れる原因になっているのではないか。

個人的には、これがドグラ・マグラを読みづらくしている一番の要因だと思う。


【 「ドグラ・マグラ」の構造を図にしてみる 】

作品全体の構成が複雑であるのなら、図として可視化すれば少しは分かりやすくなるのでは?
ということで、「ドグラ・マグラ」の構造図を作成してみたい。

※あらすじ・結末等 ネタバレ状態となっていますので特に未読の方はご注意下さい。


【 まとめ:「ドグラ・マグラ」が読みづらいのは作者の意図によるものだから仕方がない? 】

構造図を作ってはみたものの、果たしてこれが正しい図なのか、作品理解のための一助になりうるのかと問われると何とも自信がない。

あと、図を作成していた際にずっと考えていたことがある。

それは
「そもそもこの作品は、作者が意図して読者を混乱させるような構成にしてるのではないか、だから作品が読みづらいのはもうどうしようもないのではないか?」
ということだ。

本文中で「ドグラ・マグラ」について語られる箇所にも、作者のそういった意図が明確に表れていると言えるだろう。

その構想の不可思議さが又、普通人の所謂、推理とか想像とかを超越しておりまして、読んでいるうちにこちらの頭が、いつの間にか一種異様、幻覚錯覚、倒錯観念に捲き込まれそうになるのです。

つまりこの原稿の内容が、徹頭徹尾、そういったような意味の極度にグロテスクな、端的にエロチックな、徹底的に探偵小説式な、同時にドコドコまでもノンセンスな……一種の脳髄の地獄……もしくは心理的な迷宮遊びといったようなトリックでもって充実させられておりますために……

要するにこの一文は、標題から内容に到るまで、徹頭徹尾、人を迷わすように仕組まれているものとしか考えられませぬ。

もともと作者が意図して造った迷宮なので、迷って当然、いや迷ってこそ作品の醍醐味が味わえるのではないか。

ならば読者も開き直って、恐れず迷宮に飛び込み、幻惑に呑み込まれることを楽しめばいいのではないか。

内容を把握できるか、最後まで読み通せるかを気にせず、「ドグラ・マグラ」はそうやって読めばいいのではないかと思う。


記事中のテキストはこちらより引用しました。
青空文庫版「ドグラ・マグラ」
https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card2093.html