「旅する和菓子」

新型コロナウイルス感染拡大に伴い、福岡も対象地域に含まれる緊急事態宣言が発表されたのが2020年4月7日。
勤務先もリモートワークとなり、出社はしなくなったものの平日は自宅で仕事をする日々となった。

スーパーへ買い出しに出掛ける以外は殆ど家に引きこもり、寝て起きて仕事を繰り返す生活が続いていた4月下旬のある日、ネットを見ていたらこんな記事を見つけた。

コロナ禍の先を目指す菓子店の「ステイホーム」提案!
老舗も若き当主達の挑戦で前進
https://news.yahoo.co.jp/byline/hiraiwario/20200427-00175114/

記事ではコロナ禍によって菓子店も危機に立たされていること、特に和菓子店は地場の観光地・お土産店への出荷もなくなり、既に納品していた商品まで返品されてきたりで更に苦しい状況にあること、その一方でこのピンチをチャンスに変えるべく、SNSやネット通販などの新しい手法で販路を開こうと奮闘している老舗和菓子店の取り組みなどが紹介されていた。

記事で紹介された商品で特に興味を惹かれたのが、若手の和菓子屋店主が地域を超えて連携することで実現した企画商品、「旅する和菓子」。

旅行に行きたくても行けない時だからこそ、様々な土地のお菓子を家に居ながら楽しんでもらおう、ということで日本各地の和菓子店4店の和菓子を詰め合わせにした商品とのこと。

なにこれ素敵…!

外出できない&お菓子店もほぼ閉まっている&気の滅入り具合もピークに達していた時期だったこともあり、この「旅する和菓子」をさっそく注文してみることにした。



注文から数日後、お店から発送完了のメールが届き、その翌々日くらいに商品が到着した。宅配会社の紙袋の梱包の中に、手提げ袋に入れられてお菓子が詰まっている。


こちらが商品の全容。どんなお菓子か気になるものばかりだが一度に色々食べてしまうのはもったいない気がしたので、1日1種類づつ食べていくことする。


1日目「乙女のひととき」広島県呉市 蜜屋


まずはこの「旅する和菓子」を企画した広島の蜜屋さんのお菓子。商品名もパッケージもかわいい。
一見ふつうのどらやきだが、餡の中にはドライフルーツやナッツが入っている。餡の甘さはやや控えめなので、フルーツの味もしっかり感じられた。蜂蜜も入っているのでまろやかな味わい。

2日目「鎌倉さんぽ道」神奈川県鎌倉市 茶の子


もなか、と思ったらもなかじゃなかった…。楓型のもなかの皮の中に入っているのは胡麻の風味豊かなサブレ。

厚みがあるサブレなのにすごく軽い食感…!原材料を見ると米粉と書いてあったが、この軽さは米粉によるものなのか?
もなかの皮もすごくサクサクしてて、これは日本茶にもコーヒーにもあいそうな味…。

3日目「ガーデンハックルベリーどら焼き」岩手県奥州市 高千代


今回のお菓子の中で、ビジュアル面で一番気になっていたのがこのお菓子。
すごく鮮やかな紫色のクリーム…

ガーデンハックルベリーという果実の存在自体を初めて知った。
”ベリー”と名前がついてはいるけど、これはナス科ナス属イヌホオズキ類に分類されるそうで、バラ科に属する苺などのベリー類とは全く別種の植物だそう。


更に気になるのは、パッケージに書いてある文字。
「江刺自動車学校の職員さんが丹精込めて育てたガーデンハックルベリーと発酵バターのまさかの出会い」

自動車学校さんが果物を育てているのは何故なのか…
検索してサイトを見てみたら、その理由に「なるほど」と思わされた。
江刺自動車学校農産グループ えさしベリーのサイト 

恐る恐る食べてみたが思いのほか美味しい。 ブルーベリーに似た果実の味は発酵バターともよく合う。濃厚なクリームの味も見た目もどら焼きというよりオムレットって感じ。

お店のサイトを見ると、高千代さんは大正年間に創業した老舗だが和菓子だけでなく洋菓子も作っているらしい。どら焼きが限りなく洋菓子ぽかったのも「なるほど」と思った。

4日目「HAKU」滋賀県高島市 NANASAN


白餡粉を使ったクッキー、中にはショコラ味のクッキーの層とアドベリー入りのホワイトチョコが入っている。
断面の色がすごくきれい!

またまた聞きなれない果物の名前が出てきたが、

「アドベリー」とはボイセンベリーという日本ではほとんど栽培されていない果実を安曇川の特産品とするため、多くの方に親しまれる愛称として命名したものです。

とのこと。
日本で初めて栽培に成功した場所が、このNANASANのお店や安曇川のある高島市なのだそう。


NANASANはアドベリーを軸に商品を展開するブランドで、ほかにも幾何学的な形と結晶のような色合いが美しい琥珀糖などを販売されている。
商品もパッケージも、日本的な伝統美と革新が融合したモダンな雰囲気、

5日目「広島まんまるちーず」広島県呉市 蜜屋


最後は再び蜜屋さんのお菓子。
やや小ぶりのお饅頭状のお菓子の中には三種のチーズ・洋酒漬けのドライフルーツなどが入っている。

箱に”オーブンで少し焼くと一層おいしい”的なことが書いてあったので焼いてみたら、チーズが溶けて確かにおいしい…
見た目はお饅頭だけど味はかなり洋風なあたり、福岡の明月堂さんの「通りもん」にも通じるものを感じる。お子さんや若い年代にすごく好かれそうな味。

ところで蜜屋さんは店名も「蜜」だし、今回入っていたお菓子2種にも地元広島産の蜂蜜が使われているし、蜜にこだわった商品づくりをされているお店なのかもしれない。


まとめ

今回食べた5種類のお菓子は、どれも初めて知るお店の初めて食べるお菓子ばかり、お店の所在地も広島・滋賀・神奈川・岩手と広い地域に亘っている。その土地でとれる蜂蜜、珍しい果物など、地元産の原料が生かされたお菓子が多かったのも印象的だった。

普段買いするものも旅先で買うものも、自分で選ぶお菓子はだいたいいつも同じだったり似た傾向のものになりがちなので、こうやって全く知らなかったお菓子を味わうのはすごく新鮮な体験だった。

また、それぞれのお菓子が思っていたほど和菓子和菓子していなくて、どちらかといえば洋菓子っぽい味わいのものが多かったのも良い意味で予想を裏切られた。

「旅する和菓子」は毎回参加する和菓子屋さんも入れ替わり、商品内容も全く違う構成になってるので、購入するたびに新しいお菓子に出会えるのも面白い。まだまだ国内の旅行もままならない時期ではあるが、今回知った遠い土地のお菓子屋さんにも、いつか実際に訪れることができればいいなぁと思う。

 

シュガーロード紀行 地図・目次・参考文献(随時更新)

シュガーロードマップ


マップ内 黒線は長崎街道、は来訪地


目次

はじめに: 「肥前の菓子」との出会い

【長崎】 2017/06
#001 長崎街道ここにはじまる
#002 鎮西大社 諏訪神社
#003 月見茶屋
#004 松森天満宮
#005 西山神社
#006 興福寺
#007 カステラ老舗巡り 福砂屋
#008 カステラ老舗巡り 松翁軒
#009 萬順のよりより
#010 長崎市の市章

【大村】 2017/07
#001 大村駅
#002 アーケード街と重なる大村宿
#003 玖島城址
#004 玖島城址の周辺
#005 龍神社
#006 大村寿司
#007 長崎地方の一口香

【諫早】 2017/07
#001 永昌代官所跡
#002 諫早神社
#003 諫早の眼鏡橋
#004 菓秀苑森長
#005 建替途中の諫早駅
#006 諫早と大村の黒おこし

【平戸】 2017/09
#001 日本の西の端
#002 松浦史料博物館
#003 閑雲亭と烏羽玉
#004 平戸オランダ商館
#005 蔦屋のカスドース
#006 熊屋の牛蒡餅
#007 平戸松浦氏・平戸と砂糖・鎮信流・百菓之図
#008 東西百菓之図

【嬉野】 2017/11
#001 俵坂関所跡を見に行く
#002 瑞光寺
#003 豊玉姫神社
#004 あめがたやのあめがた

【塩田】 2017/11
#001 八天神社
#002 塩田川の荷揚場跡
#003 塩田の長崎街道
#004 塩田の恵比須像
#005 塩田の仁王像
#006 杉光陶器店
#007 佐賀地方の逸口香

【小城】 2018/02
#001 小城駅と唐津線
#002 羊羹のまちと梧竹さん
#003 村岡総本舗本店と羊羹資料館
#004 須賀神社
#005 深川家揚羽の蝶
#006 小城公園の桜
#007 小城羊羹とその歴史

【牛津】 2018/02
#001 牛津駅
#002 九州の百貨店王と牛津町会館・牛津赤レンガ館

【佐賀】 2018/04
#001 銘菓めぐりの旅
#002 佐嘉神社
#003 焼きたて丸ぼうろを試食
#004 伊勢神社
#005 六座町
#006 築地反射炉跡
#007 佐賀藩の御菓子司 鶴屋
#008 鶴屋の丸房露 北島の丸芳露
#009 鶴屋の肥前ケシアド
#010 森永太一郎と江崎利一

【唐津】 2018/07
#001 菜畑遺跡
#002 唐津曳山と唐津神社
#003 唐津城
#004 旧唐津銀行
#005 松露饅頭

【浜崎】 2018/07
#001 浜崎のけえらん

【博多】 2018/08
#001 鴻臚館と大宰府官道
#002 承天寺の御饅頭所之碑
#003 豊臣秀吉と神屋宗湛・太閤町割・利休釜掛之松
#004 筥崎宮に残る千利休の石灯篭
#005 福岡藩の御菓子司と鶏卵素麺

【太宰府】 2018/08
#001 お菓子の神様の神社
#002 お石茶屋
#003 太宰府の梅ヶ枝餅

【飯塚】 2018/11
#001 ひよ子の工場見学に行く
#002 旧 伊藤伝右衛門邸
#003 飯塚市街に残る長崎街道の面影
#004 飯塚の名のおこり 曩祖八幡宮・飯の山
#005 千鳥屋本家の千鳥饅頭・千鳥サブレ
#006 さかえ屋のすくのかめ

【小倉】 2019/03
#001 小倉城と常盤橋
#002 常盤橋周辺の旧街道
#003 小倉駅前に残る門司往還の痕跡
#004 軍都小倉と栗饅頭
#005 森鴎外の小倉日記
#006 八幡製鐵所と鐵平糖
#007 大里・門司・門司港

【熊本】 2019/06
#001 細川忠興と加勢以多
#002 加藤清正と朝鮮飴(長生飴)
#003 SWISSのリキュールマロン


参考文献

● 肥前の菓子―シュガーロード長崎街道を行く
村岡安廣 著/佐賀新聞社

● 九州文化図録選書1 長崎街道 大里・小倉と筑前六宿
図書出版のぶ工房

● 九州文化図録選書2 長崎街道 肥前佐賀路
図書出版のぶ工房

● 九州文化図録選書3 長崎街道 肥前長崎路と多良海道
図書出版のぶ工房

● 九州文化図録選書4 平戸街道 江迎筋と御厨筋
図書出版のぶ工房

● 九州文化図録選書5 唐津街道 豊前筑前福岡路
図書出版のぶ工房

● 九州文化図録選書6 唐津街道 肥前佐賀長崎路から時津街道へ
図書出版のぶ工房

● 江戸時代の平戸の菓子
江後廸子・つたや総本家

● 村岡総本舗 羊羹資料館案内
村岡総本舗

● 和菓子 第九号 特集-九州
株式会社虎屋 虎屋文庫

● 海路 第三号 特集-九州と菓子
海鳥舎

● 砂糖の通った道 菓子から見た社会史
八百啓介/弦書房

● 筑紫菓匠五十二萬石如水庵 創業四二〇年の軌跡
荻野忠行 著・森恍次郎 監修/梓書院

● 佐賀の街道見聞録
川上茂治/横蔵亭

シュガーロード紀行 熊本#003 SWISSのリキュールマロン

伝統的な和菓子とは別に、熊本に来た際に是非食べてみたいと思っていたお菓子がある。
熊本の老舗洋菓子店 スイスの「リキュールマロン」。熊本市民なら知らない人はいない程有名なお菓子とのこと。

お店のサイトの商品紹介ページ にはこう書かれている。

創業当時から製法を変えていない、言わずと知れたミドリの銀紙にくるんだバターケーキ。
生地に浸み込んだたっぷりのリキュールシロップ、県産の渋皮マロンが入ったバタークリームをサンドしてあります。きっと昭和のあの頃を思い出させてくれる一品です。

「昭和のあの頃を思い出させてくれる」というのが、どんな味か気になるところ。

スイスには喫茶スペース併設の店舗もあり、そこでリキュールマロンも提供されているそうなのでお店で食べることにする。


やってきたのは市街中心部の大きなアーケード街、上通りにあるお店。


お店の奥には広めのテラス席もある。天気もいい日だったので外でいただくことにした。
注文して待つこと数分、リキュールマロンが運ばれて来た。


緑色の包装紙を開けると嵩のある丸いケーキが姿を現す。

スポンジ部分には極限までリキュールシロップがしみこませてあり、その間には栗入りのバタークリームがたっぷりと挟まっている。よく冷やしてあることもあって何だかケーキとアイスの中間のような食感だった。

お酒に弱い人は酔ってしまうかもしれない…。加えてクリームの濃厚さもあって一度食べると忘れられない味。

昔から食べている熊本の人にとっては、ずっと変わらないこの味が懐かしさをも呼び起こすのかもしれない。
お店の創業時(1962年)から同じ製法で作り続けているのも何だか分かる気がする。

SWISS  熊本で最初の洋菓子(ケーキ)店 お菓子のことならスイス

(来訪日:2019/06/23)

シュガーロード紀行 熊本#002 加藤清正と朝鮮飴(長生飴)

加勢以多と並んで熊本に古くからあるお菓子として挙げておきたいのが朝鮮飴。

朝鮮飴(ちょうせんあめ)は、江戸時代から受け継がれる熊本県の伝統銘菓である。
求肥飴の一種とされる。餅米と水飴と砂糖を独自の製法でこね合わせて長方形に型切りし片栗粉をまぶしている。上品な甘さともちもちした食感を持つ滋養豊かで日持ちする和菓子である。

安土桃山時代、老舗園田屋の開祖である園田武衛門により造られていた当初は、長生飴または肥後飴と呼ばれていた。
文禄・慶長の役が起きると、肥後国の城主であった加藤清正がこの飴を兵糧目録に入れて朝鮮半島へ出兵し、長期の携行でも風味が損なわれず兵士達の英気を養うのに大いに役立った事から、以後は朝鮮飴と呼ばれるようになったという。

(中略)

江戸時代中期までは肥後藩が買い上げる御用物とされ、製法も管理されて一般への流通は許されていなかった。代々の肥後藩主は朝鮮飴を江戸幕府と朝廷への献上品、または諸大名への贈答品としても用いていた。

Wikipedia 朝鮮飴

加勢以多は細川忠興ゆかりのお菓子だったが、こちらは加藤清正ゆかりのお菓子と言える。

朝鮮飴はWikipediaの解説にも名前が出てくる園田屋さんが一番の老舗とのこと、現在のご店主で19代目になるそう。2018年には115年ぶりの新商品「れもん飴」を発売したことで話題になっていた。


ということで園田屋さんに朝鮮飴を買いに行ってみる。


が、閉まっていた…。

どうやら訪れた日は定休日だった模様。建物だけ写真に納めたが、周囲にビルが建ち並ぶ街中で古めかしい日本家屋の店舗がひときわ目を惹いた。



商品は帰り際に立ち寄った熊本駅のお土産売り場で売られているのを見つけて無事に入手できた。
箱には加藤家の家紋である蛇の目紋・桔梗紋と熊本城の絵が描かれいる。


写真では真っ白に写ってしまってるのでわかりづらいが、箱を開けるとかたくり粉に覆われた朝鮮飴がみっちり詰まっている。


粉を払い落とすとこんな感じ。やや黄色味を帯びた求肥のお餅が一口大の大きさに切り分けられている。食べてみると柔らかで大変美味しい。口に広がるやさしい甘みは確かに飴を思わせる。

ボンタンアメにも似た食感だと思ったが、実はボンタンアメは朝鮮飴から着想を得て作られた経緯があるらしい。

(来訪日:2019/06/23)


シュガーロード紀行 熊本#001 細川忠興と加勢以多

謎のお菓子 ”カセイタ”

”カセイタ”というお菓子の存在をはじめて知ったのは、今から7~8年前、オノ・ナツメさんの「つらつらわらじ」を読んでいた時のことだった。

(「つらつらわらじ」は、江戸時代 備中岡山藩のお殿様が岡山から江戸まで参勤交代を行う道中を描いた漫画で、”カセイタ” は大阪の豪商がお殿様に献上するお菓子として登場する 。)

作中にはこのような絵が一コマあるだけ。
見た目は何だか平べったいサンドウィッチのようにも見える。

熊本のお菓子であること、漢字で表記すると”加勢以多”になることは知ることができたが、それ以上の詳しい記述はない。何で出来ているのか、どんな味なのかもわからなかったけど、風変わりな響きもあって、このお菓子の名前は妙に記憶に残るものだった。

それから数年後、「肥前の菓子」を読んだ際に、この”カセイタ”に再び出会うことになる。

本を読んで知ったが、実は”カセイタ”もシュガーロードと非常に深い関係のあるお菓子だった。
これは是非現地に出向いて入手したいと思い、熊本に出かけることにする。

熊本へ

というわけで、初夏の某日 熊本へやって来た。
博多からは九州新幹線で約50分ほどで到着する。

これは熊本市役所の展望ロビーから見る修復工事中の熊本城。

2,019年6月現在、熊本城はいまだ広範囲にわたり立ち入りができない状況が続いている。
崩れた石垣の石ひとつひとつを全て元通りに組み直すなど、気の遠くなるような修復作業が行われている最中だが、こうやって少しづつでもお城がもとの姿に戻っていく様子は見ていて嬉しくなる。

”カセイタ”=加勢以多

“カセイタ”は、この熊本城を居城とした大名 細川家と深い関連がある。

「肥前の菓子」には、”カセイタ”についてこう書かれている。

“加勢以多”は、文化の十字路肥前からもたらされたものでこの起源はポルトガルにあり、江戸期は全国に存在していた。
マルメロという果実の果肉を練り固めたもので、その異国情緒あふれる味わいを肥後熊本の細川三斉公が好み熊本に持ち帰ったものである。
加勢以多は、かせ板とも書き語源はポルトガル語の「カイシャダ・マルメラーダ」、すなわち「マルメラーダの箱」が日本語に置き換えられたと伝えられている。

不思議な響きをもつ名前はポルトガル語が変化したものだったと知り、なるほどと思った。

細川三斉=忠興といえば、熊本の前に訪れた小倉とも関連がある。

忠興は関ヶ原の戦いの後 豊前国を拝領、それまでは小さな城だった小倉城を約七年かけて大きな城に改築し居城とした。
その後家督を子の忠利に譲って隠居、名前を三斉と改める。
忠利の代に細川家は豊前小倉から肥後熊本に移封、石高も四十万石から五十四万石に加増された。

忠興は戦国の乱世を生き抜いた武将でもあり、和歌や学問に秀でた当代きっての文化人でもあった。特に茶道については、千利休の高弟の一人にも数えられるほど造詣が深い人物だった。

加勢以多は忠興が茶菓子として重用したことで熊本に根付き、のちに幕府への献上品や諸大名への贈答品としても用いられた。
原料となるマルメロは日本になかったため、カリンや梨で代用して作られていたらしい。

写真はWikipediaより。左がマルメロ、右がカリン。

分類上は全く別の属種だが、こうやって並べて見ると外見はよく似ているかもしれない…。

加勢以多は長らく熊本の山城屋という菓子店が生産していたそうだが、山城屋は昭和60年代に廃業、製造も一時途絶えた時期があった。その後平成に入りお菓子の香梅さんが製造を継承、加勢以多は復活し現在に至っているとのこと。

こちらがお菓子の香梅さんの白山本店。
「誉の陣太鼓」や「武者がえし」でも知られる熊本の菓子店。ここで加勢以多を購入する。

本店の中には喫茶スペースも併設されている。これはひと休みがてら店内で食べた陣太鼓ソフト。
陣太鼓に使用されている大納言あずきと求肥が入ってる。限られた店舗で提供されている商品らしい。


入手した加勢以多を実食してみたい。

まるで長持を思わせるような濃紺の箱に入っていて、掛け紙には「古今伝授の間香梅」とある。
水前寺公園にある古今伝授の間と隣接する茶屋でも、この菓子がお茶とともに提供されているらしい。
(詳しくはこちら→ 古今伝授の間 – お菓子の香梅

箱を開けると中には紙にくるまれた小さくて薄いお菓子が詰まっていた。
表面の白い部分はもち米で作ったおぼろ種、細川家の家紋である九曜紋の焼印が押され、なかには砂糖で煮て餡状にしたカリンが挟んである。

食べてみると、果実の爽やかな酸味が広がる。
カリンという普段あまり食べたことのない果物でもあるせいか、和菓子としては新鮮な味わいに感じた。

(来訪日:2019/06/23)


シュガーロード紀行 小倉#007 大里・門司・門司港

門司駅から大里へ


小倉から少し足を伸ばして門司往還終点の宿場町だった大里にも行ってみたい。
小倉駅から電車に乗り門司駅へ。駅を出て海側に向かって歩く。

この付近が大里(だいり)と呼ばれるのは、その昔壇ノ浦の合戦があったころ、安徳天皇の御所=内裏(だいり)がここに置かれたことに由来しているそう。

大里は大正時代に九州で初めてのビール工場が建てられた場所でもあり、その工場跡は現在、門司赤煉瓦プレイスとして観光スポットになっている。

赤煉瓦プレイスの中を走る通りがかつての門司往還。

現在赤煉瓦交流館となっている建物の横には長崎番所跡と記された小さな石碑が立っている。碑の側面にはこう書かれている。

寛政十一年(1799)、幕府(長崎奉行所)は大里浦出張所をここに設置した。
当時、玄界灘に出没した密貿易船の取締りと、対唐貿易の代物(俵物諸色)を長崎に送る為、保管仲継の基地として設置した。


門司麦酒煉瓦館の傍らには大きな松が。この松は旧街道時代からある古い木らしい。

大里の海岸から眺めた海。
江戸時代には島津氏・鍋島氏などの九州の大名が参勤交代の際にここから本州へ渡っていた。

本州への渡航は黒崎宿からも行われていたが、参勤交代の時期は諸大名の利用が集中し宿場が大混雑してしまうため、その混雑を避けるためにも大里を利用する大名が多かったそう。

大里の海岸近くの街道沿いには、各大名が宿泊所としていた屋敷が立ち並んでいた。
長崎港に上陸し長崎街道をはるばる歩いてきた象も、ここから船に乗り海峡を渡ったと記録に残っている。

門司港駅

さらに足をのばして、今年3月に修復工事が完了した門司港駅も観に行ってみたい。

修復工事にかかった時間は約6年、資料が乏しく大変な苦労があったそうだが大正時代の姿に復元されたとのこと。

これは「0哩(マイル)」の碑。

明治時代に九州に鉄道が開通して以降、ここは九州の鉄道の起点で、当時は「門司駅」と呼ばれていた。旅客や貨物は門司駅までやってくると連絡船に乗り換えて本州へ渡っていた。

その後昭和になり関門トンネルが開通すると、大里にあった駅が門司駅と呼ばれるようになり、旅客・貨物とも門司駅から関門トンネルへ入り本州へ運ばれるようになる。あわせて以前の門司駅は「門司港駅」という名前に改められた。

プラットホームも、傘のついた電球が下がっていてとてもレトロな雰囲気。

外観だけでなく内装も素敵な駅だ。

(来訪日:2019/03/24)

シュガーロード紀行 小倉#006 八幡製鐵所と鐵平糖

小倉でも江戸時代から様々な菓子が作られていたが、現在よく知られている小倉銘菓の多くが誕生したのが明治-大正期。

近代小倉の発展は、明治8年(1875年)陸軍の第十四師団が旧小倉城内に置かれたことにはじまる。大きな軍隊の駐屯地であったため次第に軍需産業も盛んになっていく。

また、明治34年(1901年)に官営の製鉄所として操業を開始した八幡製鐵所に代表されるように鉄工業のまちとしても栄えた。

軍都そして工業都市として人口が増え、ちょうど製菓原料の砂糖や小麦粉が大量に流通するようになった時期だったことも重なり、明治から大正頃には小倉でもたくさんの菓子が製造・消費されるようになった。

(実は九州で一番最初の政令指定都市に指定されたのは北九州市。このことからも小倉がいかに人口が多く都市として発展していたかが窺えると思う。)

近代に産業の発展に伴って菓子文化が発展していく様子は、地理的にも非常に近い筑豊地方とよく似ている気がする。

鐵平糖

八幡にある千草ホテルと入江製菓というお菓子メーカーの二社がコラボして生まれた”鉄の味がする”金平糖、その名も「鐵平糖(てっぺいとう)」。
鉄の味がするのは、同じ八幡地区にある八幡製鐵所にちなんで作られたからだそう。

このお菓子の誕生の経緯は是非千草ホテルさんのブログ記事にてご覧いただきたい。
「鐵平糖(てっぺいとう)」誕生秘話|千草ブログ

見た目も少し錆びた赤っぽい鉄の色。

食べてみると…
口に入れた瞬間はちょっと酸っぱい味がする。鉄の味と言われればそんな気もするような…。しばらく口に入れていると甘い金平糖の味に変わってくる。

時代が前後するが、金平糖はスペインのお菓子「コンフェイト」が安土桃山時代に南蛮文化の一つとして日本に伝来したものとのこと。

「肥前の菓子」によると、外国人宣教師が書き残した当時の記録(ルイス・フロイス「大日本史」)には、織田信長にも金平糖が献上され、信長は大変気に入って食べていた様子が記されているそう。

金平糖は伝来した頃から現在に至るまで、その製法はほとんど変わっていない。
ゆっくりと回転する釜の中に芥子の種や胡麻粒など核となるものを入れ、煮溶かした砂糖の液を根気よく掛け続け、数日から1~2週間ほどかけて徐々に大きな粒にしていく。

作るのに大変手間のかかるお菓子で、あの特徴的なツノをきれいに作るには職人の熟練の技と勘が必要とのこと。

九州にも多くあった金平糖の製造会社だが廃業などで次第になくなり、入江製菓さんは現在では数少ない製造元となっている。創業は昭和9年の老舗、金平糖をはじめ様々な飴を製造している。

金平糖の通販サイト いろは屋の金平糖

シュガーロード紀行 小倉#005 森鴎外と小倉日記

大正12年に小倉で創業した菓子舗、つる平が販売しているお菓子、「小倉日記」。
商品名は、 明治時代に軍医監としてこの地に赴任した森 林太郎=森 鴎外の同名の著作に由来する。
パッケージデザインもレトロでいい感じ。


小ぶりなバウムクーヘンの中にクリームが入っている。
(何故バウムクーヘンなのかというと、鴎外が留学したドイツのお菓子に因んで、とのことらしい。)

商品自体は昭和40年代に販売されたものなので、昔ながらの伝統的な菓子ではないが、食べてすごく美味しかったお菓子なので紹介しておきたい。
小倉北区にある鴎外旧宅の来訪記はいずれまた改めてUPする予定。

つる平 | 北九州銘菓 「ぽんつく」 「小倉日記」 

シュガーロード紀行 小倉#004 軍都小倉と湖月堂の栗饅頭

湖月堂 喫茶去


旧門司往還沿い、魚町商店街の中にある湖月堂本店。
店舗の隣にはゆったりした飲食スペース 喫茶去が併設されている。

店名を聞くと喫茶店なのかな?と思うが、食事メニューも充実していてお食事処も兼ねている感じ。

ここでおやつセットを頂く。飲物はコーヒー・紅茶・お抹茶、お菓子は和風・洋風から好きな組み合わせで注文できる。
写真はお抹茶+和風お菓子。ちょっと意外な取り合わせだったがアールグレイ味のマカロンが特に美味しかった。

湖月堂の栗饅頭

北部九州民にはTVCMでもおなじみ、湖月堂の栗饅頭。

日清日露戦役の頃、勝栗を包み「栗饅頭」として発売したところ、その趣向が当時の戦勝を願う風潮に受け入れられたこともあり、広く皆様にご愛顧を頂きました。
以来、「栗饅頭は湖月堂」として、弊社の代表銘菓になっております。
(湖月堂HPの商品紹介より)

戦時の縁起物が元となり小倉を代表する菓子となった経緯が面白い。

「湖月堂」という店名も、店主と親交のあった陸軍の師団長に命名してもらったものだそうで、軍都だった小倉ならではのエピソードという感じがする。

店頭では大きいサイズと小さいサイズが売られていたが、今回は小さいサイズを購入した。

中には栗を練り込んだ餡と蜜漬けの栗が入っている。表面の栗の皮のような茶色のつやつやは卵黄を塗って焼くことで形成されるそう。
餡も皮もしっとりとしていて程よい甘さのお饅頭だ。

(来訪日:2019/03/24)

シュガーロード紀行 小倉#003 小倉駅周辺に残る門司往還の痕跡

常盤橋を渡って東側、京町の商店街の入り口には参勤交代往還路(門司往還)を示す標識がある。
門司往還は常盤橋から門司方面へと向かう約16kmほどのみじかい街道。

門司往還は真っ直ぐ小倉の市街中心部を横断している。
京町・魚町のアーケード街の一部は、大村や飯塚と同じく、街道だった道筋がそのまま商店街になっている。

商店街を抜けて小倉駅前の大通りへ。

商店街出口からの横断歩道は門司往還の道筋を示しているらしい。

この横断歩道を渡った先にはコレットという大きな商業施設があるが、この建物は門司往還の真上に建っていることになる。

コレットの東側の出口正面には参勤交代往還路について解説する看板も建てられている。

看板の向こう側に真っ直ぐ続いている通りがかつては門司往還だった道。

googleMAPで見るとわかりやすい。

図中赤の点線で示したのが門司往還、先ほどの駅前の横断歩道が図中Aの箇所、Bが参勤交代往還路の看板。コレットの建物内の通路も旧街道の道筋とぴったり重なり合う直線になっているのが面白い。