水鏡天満宮/夢野久作「少女地獄」- 火星の女

水鏡天満宮/夢野久作「少女地獄」- 火星の女

 

昭和通り、西中島橋そばの交差点角に立つ福岡市文学館(旧日本生命保険株式会社九州支店)。
そのすぐ隣が水鏡天満宮。(写真右側に天満宮の鳥居が写っている。)

こちらはお社の裏側の参道入り口になる。

鳥居の扁額の「天満宮」は黒田家13代目 黒田長成氏の揮毫。

表側の参道は明治通りに面している。道を挟んで真向かいにアクロス福岡がある。

こちらの鳥居の扁額は、福岡出身の政治家で内閣総理大臣も務めた広田弘毅が、小学生(!)の頃に揮毫したものだそう。

以下は参道入り口に立っている案内板の文章。

菅原道真を祀る神社です。
社殿によれば、延喜元年(901年)京都から大宰府に赴任途中の菅原道真が、四十川の清流を水鏡にして自らの姿を映した場所に、後に社殿を建て、水鏡天神または容見(すがたみ)天神と呼びました。
慶長17年(1612年)には、福岡藩初代藩主黒田長政がこの地に移し、二代藩主忠之が社殿を再建したとされます。
福岡の繁華街「天神」の地名は、この神社にちなんだものと言われています。

長政公がこの場所にお社を移したのは、福岡城から見て丑寅にあたる方角の鬼門封じのためだったと伝わっている。
移される前は、現在の中央区今泉あたりにお社があった。

天満宮なのでお社の前に牛さんがいる。

そして狛犬。比較的新しい。
ここの吽の狛犬には頭のてっぺんに角が生えている。

お社の朱色と周囲の木々の緑色のコントラストも美しい。


「少女地獄」の第三話「火星の女」の中には、この水鏡天満宮と思しき場所が登場する。

そんな事とは夢にも御存じなかったのでしょう。
却って私を大阪へ追払ってモウ一安心とお思いになったのでしょう。
校長先生は謝恩会のあった翌る日の二十四日の夕方に、何処かへ出張なさるような恰好で、真面目なモーニングに山高帽を召して、書類入れのボックス鞄なぞを大切そうに抱えて、下宿をお出ましになると、夕暗の町伝いを小急ぎに郊外へ出て、天神の森の方へ歩いて行かれました。……

 火星の女

文中には「天神の森」という言葉が出てくるが、現在の水鏡天満宮周辺は市街中心部でビルや大通りに囲まれていることもあり、森というほどの木はもう残っていない。


ところでこの「火星の女」は、実際に起こった事件を基にして書かれた部分もあるそう。

( 黒焦げ死体事件: 昭和8年、現在の糟屋郡須恵町の火葬場で12~13歳の少女と思われる半黒焦げの遺体が発見される。9日目に少女の養父による犯行と判明。)

また、物語の主人公「火星さん」は、日本人女性初のオリンピックメダリストとして活躍しつつも、昭和6年に24歳の若さで病没した 人見絹枝 がモデルだったらしい。