シュガーロード紀行 飯塚#001 ひよ子の工場見学に行く

シュガーロード紀行 飯塚#001 ひよ子の工場見学に行く

以前からずっと気になっていた飯塚市穂波にあるひよ子の工場の見学。
この紀行もちょうど飯塚まで進んできたこともあり、この機会に行ってみることにした。

工場見学の概要はひよ子のHP に記載されている。
電話で直接申し込むが、この工場見学は常に人気らしく1~2ケ月くらい先でないと予約が取れない。
私の場合も9月に申し込みをしたが、見学の予約が取れたのは11月の日程だった。


工場見学当日。よく晴れていて11月と思えないほど気温も高い。
午前9時台、福北ゆたか線で博多から工場最寄り駅の天道まで向かう。(天道は「てんとう」と読む。)

天道駅から工場までは徒歩で向かう。
しばらく歩くと穂波川が現れるが、この川の向こうにひよ子の穂波工場が見えてくる。

GoogleMapのルート検索では約15分と表示されていたが、実際にはもうちょっとかかった。

工場に到着。建物も大きいが看板も大きい。

受付を済ませ、消毒液で手を消毒していよいよ工場見学が始まる。
1グループ約20人ほどで、案内役の社員さんの解説を聞きながら工場内の各工程をガラス窓越しに見学して行く。


この工場では、ほぼ全工程をオートメーション化して主にひよ子とひよこサブレ―の生産が行われている。

今回の見学で最大の発見だったのは、「ひよ子はおしりから作られる」ということ。

餡を生地で包んだ次の工程でひよこ形に成形され、おしり側を進行方向に向けてレーンの上を進んで行く。おしりから進んでいくのは、頭を前にするよりもこのほうが安定し、途中で倒れたりしにくいためらしい。

オーブンに入っていくのもおしりから。
たくさんのひよ子が行進するように進んでいくさまは壮観。

15分ほどかけて大きなオーブンの中を通過すると、ほどよく焼きあがって出てくる。
目を入れ大きな螺旋状の装置の中でゆっくり冷まして、専用の機械で手早く1個づつ紙に包まれる。

最終工程の箱に詰める作業は人の手で。

この工場でつくられたひよ子は、このあと直営店をはじめ九州一円に出荷されていく。


工場見学が終了すると、できたてのひよ子を試食することが出来る。

工場から直接持ってきたひよ子を社員さんが見学者に配ってくれる。
手のひらに載せるとまだあたたかいので、できたてというより「生まれたて」と言いたくなる。

できたてのひよ子は皮の部分がちょっとサクッとした食感ですごく美味しかった。
普段食べるひよ子は製造後数日経って皮と餡がしっとりなじんだものなので、できたてひよ子はまさにここでしか食べられない。


工場には直売所も併設されている。

この直売所は昭和初期の飯塚本店を模したものだそう。よく見ると電話番号も七四五(ひよこ)番になっている。商品を選んでいる間も、常連らしい地元のお客さんが何人も来店して、1箱2箱とひよ子を買っていく。

これも直売所で売られていたシャーベット甘酒。
気温が高かった日だったこともあり、冷たいものがおいしそうに感じられて買ってみた。

直売所前に茶店風の休憩スペースがあったので、そこでさっそく頂く。
甘酒のシャーベットは初めて食べたが、甘みも優しくさっぱりとした食感だった。


こちらが直売所で買ってきたお菓子。バラ売りされている商品も多かったので色々買ってみた。

「ひよこれいと」や「ピィナンシェ」はネーミングにやや無理矢理感もあるが、商品の名前も形もまさにひよこ尽くしといった感じ。

今回は季節限定で「栗ひよ子」が販売されていたので、そちらを購入した。

製造工程を見た後だと、ひよ子の姿にも一層愛着めいた感情がわいてくる。

皮の生地には九州産小麦、栗は熊本産和栗が使用されている。白餡に栗が加わるとクリーミーさが一段と増す感じだった。


工場見学中に見た会社の歴史に関する展示や、社員さんによるひよ子についての解説も興味深い内容だった。

現在の株式会社ひよ子は、明治に飯塚で創業した吉野堂というお菓子屋がはじまりにあたる。
ひよ子の会社サイトを見るとこういう記述があった。

福岡藩・藩祖黒田官兵衛公が福岡入りする際に、八木山峠の石坂茶屋に逗留し、自ら宰領された「博多往還」。
この折の協力とおもてなしによりお褒めの言葉とともに石坂の姓を頂いたと伝えられています。

八木山の地で蒔かれたおもてなしの芽は、初代・石坂直吉が飯塚本町に菓子舗吉野堂を新たに開店することにより花開いたと言えるでしょう。

「菓子舗𠮷野堂創業120年の歩み」より引用

上記の文中に出てきた博多往還・八木山峠・飯塚の位置関係を地図上で見てみるとこうなる。

博多往還は日田街道とも呼ばれ、博多と天領日田をつないだ街道。
博多往還の途中にあるのが八木山峠、その八木山峠を越えた先、博多往還と長崎街道がちょうど交差する位置にあったのが飯塚だった。

今をさかのぼること400年以上前から、道がむすんだ縁が契機となって、石坂家の歴史が始まったことになる。

また、ひよ子が飯塚銘菓から福岡銘菓に、さらに東京銘菓になってゆく経緯にも、交通網の発達が大きく関連している。

ひよ子が福岡 天神の一等地に店舗を開店したのが昭和32年、その前年の昭和31年は東京ー博多間を走る特急「あさかぜ」が運行を開始した年だった。
そして1回目の東京オリンピックが開催され東海道新幹線が走り始めた昭和39年には関東に工場を建設している。

これまでになかった大きな人の流れが発生し、お土産の需要も高まるタイミングをうまくつかまえて福岡・東京の定番みやげとなっていったのが面白い。

こういった背景を知ると、やはりお菓子はその地域のもつ特徴や歴史、経済や物流などと深く関係しているのだな、と改めて思う。

ひよ子の歴史は、会社のHP上でも読むことが出来る。
吉野堂物語 http://www.hiyoko.co.jp/yoshinodo/index.html

(来訪日:2018/11/10)