シュガーロード紀行 福岡博多#005 福岡藩の御菓子司と鶏卵素麺

シュガーロード紀行 福岡博多#005 福岡藩の御菓子司と鶏卵素麺

江戸時代の福岡藩にも、御菓子司をつとめた菓子屋が複数存在した。
現在も営業を続ける菓子屋の一つが松屋。

初代松屋当主、松屋利右衛門は長崎の出島を訪れた際、鶏卵素麺の製法を伝授されたと言われています。
のち博多へ戻った松屋利右衛門は鶏卵素麺の製造販売を開始、時は江戸時代延宝元年(1673年)の事でした。
この延宝年間には福岡藩主黒田光之に鶏卵素麺を献上、以後黒田藩の御用菓子商となり現在に至っています。

松屋HPより引用


(詳細はよく調べきれなかったが、松屋は現在「元祖鶏卵素麺 松屋」と「松屋利右衛門」の二社がある模様。今回訪れたのは西区橋本に本店と工場がある「元祖鶏卵素麺 松屋」)

建物の店名の横には黒田家の家紋である藤巴も掲げられている。

ここで鶏卵素麺を購入した。

名前だけは以前から知っていたが、実はこのお菓子を食べるのは初めて。

このお菓子のルーツは、ポルトガルの「フィオス・デ・オヴォス」(fios de ovos、卵の糸)というお菓子だそう。「肥前の菓子」には鶏卵素麺についてこう書かれている。

煮えた砂糖の中に、じょうごのような器具を使って卵黄を流し込み、素麺のように細く固めた。
(中略)
福岡県の松屋菓子舗が約四百年前に長崎で手法を学び、黒田藩の指導や経済支援を受け秘伝を守ってきた。やはり上流階級が好んで食した。

原材料の表記を見ると、卵と砂糖だけ!
保存料は入っていないので賞味期間はやや短かめ。


この鮮やかな黄色の色合いを見て思い出すのは平戸のカスドース。
どちらもポルトガルに由来し、卵と砂糖をふんだんに使うことや、熱した糖蜜にくぐらせることなど、共通点の多い菓子と言える。

素麺の束のような固まりを一口大に切って頂く。
食べた感想は…「うーん、甘い」
もともとお茶の席で食されてきたお菓子なので、やはりお茶と一緒に少量を頂くのが一番美味しい食べ方のよう。

江戸時代にも鶏卵は食べられてはいたが、流通量が少なく薬のような扱いの高級食材だったので、原料となる大量の卵を確保すること自体が容易ではなかったと思われる。鶏卵素麺の製法は福岡藩以外にも伝わった形跡があるが、こういった原料調達の困難さもあって製造が途絶えてしまったところが多かったらしい。

福岡藩では大名家の支援や保護があったからこそ、かろうじて作り続けることのできたお菓子だったのではと思う。