鍋島直正展 at 佐賀大学美術館

閉幕が迫った肥前さが幕末維新博覧会をもう一度見たくなり、平成三十一年の年明け早々に佐賀を訪れる。
雲が多く肌寒い日だったが、メイン会場はこの日も時間帯によっては混雑していた模様。

途中で立ち寄った図書館のロビーで、こんなフライヤーを見つけた。

佐賀大学美術館で、鍋島直正展という展示が開催されているらしい。
場所も近いので観に行ってみることにする。


こちらが会場。この美術館の名前は以前から聞いたことがあったが、訪れたのはこの日が初めて。
数年前にできたらしく まだ新しくてきれいな建物。


この展示は、2年前に建立された鍋島直正公銅像の製作過程を実際に製作に使用した銅像原型などと合わせて紹介するという内容だった。

会場で目を惹くのは、何と言っても高さ4mを超す巨大な銅像の原型。

(↑これは昨年春に佐賀城公園で撮った銅像の写真。)

実物も観たことがあるが、高い台座に載っているので細かい部分はあまりよく見えないし、何となく大きいことは分かっても実際にどれくらいの大きさなのかは把握がむづかしい。

今回展示されている原型は、その見上げるばかりの大きさにまず驚く。
すぐそばまで近寄って見ることが出来るので、像の細部のつくりもよく見える。素材はガラス繊維強化プラスチックらしい。

展示室の壁には、銅像の制作過程を記録した写真パネルが並び、原型がこの美術館へ搬入されて組み上げられていくまでの様子を撮影した映像も流されている。

この他に去年の暮れに建立されたばかりの島義勇像の原型、維新博に合わせて市内に設置された偉人モニュメント像の中の10体の原型なども展示してある。


会場入り口の案内によると、ちょうどこの日はギャラリートークも行われるとのことだったので聴講することにした。

講師は直正公の銅像制作を担当した佐賀大学の德安 和博教授。
実は島義勇像、偉人モニュメント10体の制作にあたったのも德安教授なのだそう。


直正公の銅像は、今から約100年前、生誕100年を記念して一度建立されている。
(その時の銅像建設委員会の長は大隈重信がつとめた。)
しかしこの像は、大東亜戦争中に発せられた金属回収令により供出されて無くなってしまった。

今回造られた銅像は生誕200年を記念した2代目の像になる。

德安教授のお話しによると、今回の制作では初代の像を極力復元するよう注意を払ったとのこと。
原型の製作は、僅かに残る当時の写真と 初代の像の完成時に記念品として配られた精巧なミニチュア版の直正公像を参考に作業が進められた。

巨大な銅像の制作は、旧来の製法では専門技術者の工房で大人数で寄ってたかって制作する手法がとられていたが、多くの人手も広い作業スペースも必要となり それらの確保自体がなかなか容易なことではない。

そこで今回の銅像製作では、大きな像を水平に輪切りにしたパーツに分ける手法がとられた。
こうすることで、少人数での限られたスペースでの作業でも効率よく制作を進めることが可能となった。

鋳造にあたっては、銅よりも強度が高いリン青銅が使用されている。
表面には車の塗装と同様の塗装が施されているので、風雨や日光による経年劣化にも強い仕上がりになっているそう。
また、今回の設置場所は視界が開けた広場なので、視覚的効果で像が実際より痩せて見えてしまうのを防ぐために、従来よりあえて胴回りをちょっと太くした造形となっている。


島義勇像の制作では、重心が安定した形状の直正公像と違い、二本足で立たせることになるので、いかにバランスをとるかに大変苦心があったとのこと。

(↑帰り道に撮った島義勇像。私の写真の撮り方がアレなので微妙な写りになっているけど、実際に見るともっと躍動感があってかっこいいです。)

この像は蝦夷地探検に向かう若き日の島義勇の姿を表現したもの。

島義勇の風貌は、黒澤映画に出てくるような野太い侍といった感じ。
写真でみる姿にも、眼光が鋭く 見るからに只物ではない気迫のようなものを感じるので、そういった雰囲気も像の表情やポーズによく表現されていると思う。


写真はWikipedia  から。



偉人モニュメントについても面白いお話しを聞くことが出来た。

德安教授曰く、製作した像の中で特にイケメンに仕上がったのは副島種臣。確かに凛々しい表情。(写真右)
大隈重信(写真左)は、老年期の写真が世間に広く知られているので、顔立ちについてはあえてその頃の容貌に寄せて造形したとのこと。

大木 喬任はおしゃれさんだったらしいので、足のつま先が見えないくらい袴の裾が長くしてある。

「像を作る」ということは、単に顔立ちや外見を似せた像を作るということではない。
その人の人間性や内面的なものなど、目には見えないものまでもを表現するよう、様々な工夫を凝らしながら作られていることを知ることが出来た。


ギャラリートークの後には蒸気機関車模型の実走デモンストレーションも見学することができた。

当時は石炭を燃やしてボイラーの水を沸騰させたようだが、今回はポットのお湯とガスボンベが使われた。

模型は小さな円形のレールの上を勢いよく走る。
直正公上覧の機関車模型走行試験の情景を彷彿とさせるものだった。

佐賀大学美術館 

(来訪日:2019/01/05)


シュガーロード紀行 佐賀#009 鶴屋の肥前ケシアド

鶴屋に行った際に丸房露などと一緒に買ったお菓子。

一緒に入れてもらったお菓子のしおりにはこう書かれている。

当家に伝わる江戸中期の宝暦五年(1755)頃に編纂された『菓子仕方控覚』という「鶴屋文書」の中に「けし跡(けしあど)」というポルトガル伝来の南蛮菓子があります。

これは、ポルトガルの「ケイジャーダ」というチーズ菓子のことで「文書」のレシピには当時入手困難だったチーズの代わりにカボチャのあんを使用したことが記されています。

この度、当時のレシピをもとにしてチーズを練りこんで、現代風にアレンジして「けし跡」を「肥前ケシアド」として復刻いたしました。

「肥前の菓子」にもケイジャーダについての記述があった。

リスボン郊外の古都シントラの伝統銘菓で、バターやチーズのあんを皮でくるむ。

現地では昔ながらの素朴なお菓子として、家庭でも気軽に作られ親しまれているとのこと。
ネットで画像検索してみたところ、見た目はエッグタルトにも似ている。

ケイジャーダは日本に伝来した後「けさちいな」と呼ばれる菓子になったらしい。
けさちいなは江戸期にはお殿様へ献上するために作られていたこともあったようだが、カステラや丸ぼうろと違い、広く浸透することなく製造が途絶えてしまった。


「肥前ケシアド」は、見た目はタルトやパイのような焼き菓子というよりもお饅頭に見える。
割ってみたところもお饅頭っぽい。

食べてみると、かぼちゃ風味の餡もとても滑らかでしっとりした食感。

チーズの代わりにかぼちゃを使ったというのは、牛乳や乳製品にほぼ縁のなかった江戸時代の日本人が一生懸命考えた結果なんだろうなぁと思う。確かにかぼちゃのクリーミーな食感は、日本にある野菜の中では一番チーズに近い(?)気がする。


しかし改めて見てみると、見た目も呼び名も、もとのケイジャーダからは全く別物のお菓子になっている。

だがその変化こそが面白いのはないかとも思う。
お菓子が時間や場所を超えて伝播・継承されていくうちに、その土地の風土にあわせて「成るべくしてこう成った」ということ。オリジナルからは遠ざかるかもしれないが、原料や味も少しづつ変化して、その土地ならではの新しい味わいが生まれることも面白い。


シュガーロード紀行 佐賀#008 鶴屋の丸房露 北島の丸芳露

鶴屋の丸房露を試食してみたい。

南蛮伝来の菓子なので、味も和菓子というよりやや洋菓子ぽい。
原材料を見ると、小麦粉、砂糖、卵、蜂蜜、トレハロース、重曹 となっている。

柔らかい食感と優しい甘さでコーヒーにも日本茶にも合う。

「肥前の菓子」に書かれていたが、固めの食感の蕎麦ぼうろが主流の関西の人が食べると、この柔らかさが湿気っているように感じるらしい。また、もとは長崎に伝来した菓子だったが、佐賀で広く作られるようになり、製法も改良されてきた経緯がある。

一緒に買って来た「丸房露のためのマーマレード」も食べてみる。

鶴屋には江戸時代のお菓子の製法を記した書物が残っていて、その書物に記された「三柑漬様」を現代に再現したものだそう。

「三柑漬様」の項には、 「生の唐みかんを湯で煮、よい煮加減で押しつぶし、砂糖で煮、よい加減のときにそうけに上げ、生砂糖を掛ける。もっとも砂糖蜜のままでもよい。」 と記されており、現在のジャムの製法とほぼ同じであることが分かりました。

江戸時代にもジャムのようなものがあったのが意外だ。
文中にある唐みかんというのは、温州みかんの仲間を指すらしい。

このマーマレードは、スペイン原産のクレメンティンという柑橘で作られている。
マーマレードと言えばほろ苦い味が特徴だが、このマーマレードは苦みがない。柑橘の甘みと酸味だけを凝縮したような味。

果皮が細かく砕いてあるので、丸房露ともよくなじむ。
一緒に食べると、程よい酸味が丸房露の甘味と調和して、また違った味わいが楽しめた。


ちなみに昔の丸ぼうろは小麦粉と砂糖を混ぜて焼いたもので、卵が使われていなかったらしい。そのため現在のものより食感も固かった。
明治期に入り、卵を加えた柔らかい食感の丸ぼうろをはじめて生み出したのは北島だったそう。

「焼きたて丸ぼうろを試食」で、製作の実演時にも観たが、丸ぼうろの生地は今でも一つ一つ手作業で型抜きされている。そしてオーブンに入れて焼きあがるまでの時間はわずか数分。
簡単にできそうなようでいて、実は作るのがとてもむづかしいお菓子らしい。

ちょうど北島の丸ぼうろもあったので、鶴屋のものと比較してみたい。

まず商品名が微妙に違う。北島は「丸芳露」、鶴屋は「丸房露」。
北島のほうの原材料は小麦粉、砂糖、鶏卵、水飴、蜂蜜、ブドウ糖、みりん、ごま油、重曹 となっている。

小麦粉、砂糖、鶏卵の三大主原料以外は各社の独自レシピでいろいろなものが加えられている模様。

袋を開けて並べてみると、焼き色が微妙に違うが大きさはほぼ同じ。北島のものがちょっとだけ大きい気もする。

食べ比べもやってみたが、私の舌がそれほど繊細ではないこともあって、食感や味の違いは殆どわからなかった…。
強いて言えば、鶴屋のものが僅かに甘みが強いかも。(※個人の感想です。)

とりあえず、どちらの丸ぼうろも美味しかったので良しとしたい。

シュガーロード紀行 佐賀#007 佐賀藩の御菓子司 鶴屋

銘菓めぐりで佐賀市内の代表的な菓子店4つを廻ったが、それ以外にも是非訪れてみたいと思っていた菓子店がある。
それが佐賀藩の御菓子司もつとめた鶴屋。

写真奥に見えているのが鶴屋の店舗。
店のある通りには鳥居や石灯籠が建っている。この道を進んだ先には与賀神社があるので、ここは神社の参道になる。


これが与賀神社。周囲は堀で囲まれていて魚も泳いでいる。

この堀に架かった石橋の造りも美しい。


鶴屋のご先祖はもとは武家だったが、寛永十六年(1639年)に菓子店を開業。
二代目に当たる黒川太兵衛が長崎に出向いた際に、ポルトガル人より伝えられたボーロの製法を佐賀に持ち帰ったとのこと。

大隈重信は、鶴屋の丸房露を大変気に入っており、一時期 佐賀から東京の自分の屋敷に鶴屋の職人を招いて丸ぼうろを作らせたこともあるらしい。

ここでは丸房露と、丸房露のためのマーマレードなどを購入した。

(来訪日:2018/04/22)


シュガーロード紀行 佐賀#006 築地反射炉跡

六座町iを抜け長崎街道を辿ってさらに西へ進むと築地反射炉跡がある。
築地は「ついじ」と読む。

反射炉跡は日新小学校の敷地内にある。
小学校の校舎はどうやら建て替え工事の最中らしい。


ここが築地反射炉跡。
現在建っているのは後年造られたミニチュア版。

築地反射炉は日本で初めての実用反射炉で、ここで精錬した鉄で日本初の鉄製大砲が鋳造された。

反射炉の傍らにはカノン砲も。結構大きい。

佐賀藩が西欧列強の脅威を知るきっかけとなったのが文化5年(1808年)に起こったフェートン号事件。
長崎警護役を請け負っていた佐賀藩は、事件の不始末の責任をとるために家老数人が切腹、藩主も100日の閉門に処された。

だがこのフェートン号事件の苦い経験があったからこそ、直正公の代には藩内で富国強兵策と軍備の近代化が推し進められ、結果、「薩長土肥」と称されるように、幕末から明治にかけての日本で佐賀藩が新しい時代を切り拓く重要な役割を果たすことになったのだと思う。

これは記念碑のレリーフ。当時あった反射炉は2基で、一緒に描かれている人の大きさと比較すると、かなりの高さのある建造物だったことがうかがえる。

これは校門近くにあった石の柵。文字が読みづらかったのもあって何を記念して建てられたものかはわからなかったのだが、寄進者の名前と金額が刻まれているらしいのは分かる。

(来訪日:2018/04/22)


シュガーロード紀行 佐賀#005 六座町

伊勢神社からさらに長崎街道を西へ進む。
ながさき・こくらの石の道標の角を曲がった後は、まっすぐな直線の道が続く。

その沿道に北面天満宮という神社がある。

神社の前に建っていた看板。
この神社も伊勢神社と同じく直茂公が場所を移したものらしい。

この神社から先は、六座町となる。現在はそれぞれの座のあった場所を示す標識が建てられている。


昔は業種ごとに職人さんが寄り集まって住んでいた場所だったが、今は静かな住宅地といった感じで一般住宅やアパートが多い。

六座町の終点部分は天祐寺川にかかった橋。

この橋も昔からずっとあるのだと思われる。ひどく小さい石の欄干には「六長橋」と刻まれている。六座町と長瀬町の間にあるので六長橋という名前なのだろう。佐賀ではこんな昔から使われ続けている石造りの橋をよく見る。

川に架かる部分には、安全面を考慮してと思うが金属製の柵が付け足されている。

橋のたもとにも六座町についての看板が立っていた。

(来訪日:2018/04/22)


シュガーロード紀行 佐賀#004 伊勢神社

長崎街道は、現在の佐賀市中心部を東西に横切る形で通っていた。

佐賀市は戦時中に大規模な空襲に遭わなかったこともさいわいして、長崎街道の道筋をほぼ当時のまま辿ることができる。
今回は市中心部の西側、伊勢神社付近の長崎街道を歩いてみたいと思う。

側溝の蓋にはこんなシルエットが。この側溝の蓋は長崎街道に沿って設置されているので、これを目印にしながら歩くと辿りやすい。


こちらが伊勢神社。
鳥居は肥前鳥居と呼ばれる佐賀地方に多く見られる形のもの。

この神社は伊勢神宮の分社として1542年に今の神埼市にあたる場所に建立されたが、藩祖 鍋島直茂公により現在の場所に移された。

伊勢神社の公式HP  によると、

日本で唯一伊勢神宮より破格の恩恵を受け分霊を勧請することのできたお社です。

とある。確かに「諏訪神社」や「住吉神社」と名の付く神社は全国各地にあるが、伊勢神宮はそうではない。(調べてみたら岡山には「伊勢神社」が存在する模様。)


その名は広く知られ、江戸時代には平戸や五島からも参拝者が訪れたらしい。

昔は離島から船で海を渡り、何日もかけて徒歩で参拝しただろうから、いかに本社のお伊勢様に比べれば格段に近いとはいえ、その道のりを想像するととても大変だっただろうと思う。

神社の塀には長崎街道についての説明を書いた看板も設置されている。

境内には肥前狛犬もある。
長い時間を経て摩滅したのか、もともとデフォルメされた形状だったのか、小さくて丸っこい。
威圧感をまったく感じない、むしろかわいらしささえ感じるめずらしい狛犬だった。


ところでこの付近の長崎街道はカクカクと頻繁に折れ曲がっている。
伊勢神社の前の道も直角に曲がっているため、神社が角地に建っている。

あえて街道の見通しを悪くすることで、万一敵に攻め込まれた際の防衛力を高める狙いがあったのだろう。

伊勢神社のそばの道の曲がり角には江戸時代の石の道標も残っている。
筆書きっぽいゆびさしマークと「ながさき」の文字が彫られている。

別の面には「こくら」と刻まれている。

(来訪日:2018/04/22)


 

シュガーロード紀行 佐賀#002 佐嘉神社

佐賀城跡や佐賀県庁とお堀を挟んで向かい合う位置に佐嘉神社がある。
「佐嘉」は明治時代以前に使われていた佐賀の地名表記。この神社には鍋島直正公・鍋島直大公が祀られている。

直正の歿後の明治6年(1873年)、直正の威徳を賛え、鍋島家の祖先を祀る松原神社に南殿を造営し、直正を祀った。昭和4年(1929年)、直正を祀る別格官幣社・佐嘉神社の創建が決定した。昭和8年(1933年)に現在地に社殿を造営し、松原神社の直正の霊を遷座した。昭和23年(1948年)、松原神社南殿に祀られていた直大の霊を佐嘉神社に合祀した。

松原神社は別の神社として運営されていたが、昭和36年に佐嘉神社と運営を一本化した。

Wikipedia「佐嘉神社」

境内にはアームストロング砲(復元)もある。

台座のレリーフ。「多布施公儀石火矢鋳立所図」が描かれている。
多布施公儀石火矢鋳立所図

佐嘉神社では、元旦の午前0時にカノン砲で祝砲をうつ神事も行われているそう。


佐賀の七賢人の碑も。

鍋島直正・大隈重信(内閣総理大臣、早稲田大学を創設)・江藤新平(初代司法卿)・大木喬任(東京府知事をつとめる)・佐野常民(日本赤十字社の基となる博愛社を設立)・島義勇(北海道開拓に尽力)・副島種臣(参議・外務卿・内務大臣を務める、能書家としても有名)

この七賢人に枝吉神陽(七賢人の殆どが参加した義祭同盟を創設)を加えて八賢人とする場合もある。


境内には八つのお社があり、それらを巡る八社詣が行える。
お参りしながら、お社に置いてある朱印をスタンプラリー形式で台紙に集めていく。

一番社・・・佐嘉神社(文化・交通・学問の神)

二番社・・・松根社(礼道・芸道・学問の神)
直正公に仕えた古川松根を祀る

三番社・・・松原神社(開運・勝利・招福の神)
鍋島藩の藩祖 直茂公、一代目藩主 勝茂公、鍋島氏が仕えていた龍造寺隆信公を祀る。日峯社とも呼ばれる。

四番社・・・佐嘉荒神社(台所・厨房の神)
荒神様はかまど・火伏せの神様。

五番社・・・松原恵比須社(開運・招福・商売繁盛・くじ当せんの神)
恵比須様は佐賀市内にもたくさんの像が祀られている。

六番社・・・松原稲荷神社(家内安全・商売繁盛の神)
ここにお祀りされているのは宇迦御魂(うかのみたま)大神。

七番社・・・松原河童社(水難・水害防除・災難除・子どもの守り神)
河童の木像も供えられている。佐賀は江戸時代から藩をあげて行われた干拓事業により水路がたくさんある。子どもたちが水の事故に遭わないようにとの思いが込められているとのこと。

八番社・・・松原梛木社(縁結び・家内安全・商売繁盛・魔除け・病気平癒・子宝成就)
ご祭神は樹木の神様である久久能智(くくのち)神、大國主神。水引を結んで縁結びを祈願する梛木もあった。


八社詣をすると大願が成就するとのこと。

松原神社の朱印は龍造寺家の家紋でもある日足紋。
珍しい家紋だなと思って調べてみたら、見た目のとおり太陽を象った紋で、肥の国(=日の国)とも関連している説もあるみたい。肥後は火山もあるので火の国ともよく言われるが、肥前のほうは日の国らしい。
龍造寺氏の家紋

一つの神社の境内に色々な神様が祀られているのが興味深い。
境内には他にも白磁の鳥居や大きな楠のご神木がある。

神社の周囲も水路で囲まれている。ここに泳いでいる鯉が驚くほど大きい。

(来訪日:2018/04/22)


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シュガーロード紀行 佐賀#001 銘菓めぐりの旅

佐賀行きの前にネットで下調べをしていたら、観光客向けに佐賀の銘菓巡りのクーポンチケットがあるのを知った。市内の4店舗のお菓子がお得に楽しめるとのこと。

佐賀駅に着き、構内にある観光案内所で¥500でクーポンを購入。
パンフレットとチケットを貰う。


【一軒目:村岡屋】

村岡屋は、もとは小城の村岡総本舗の分家で、佐賀市内に出て創業した菓子店。中央通り沿いにあるこの店舗が本店。

ここでは「さが錦」を頂いた。お店では紙袋に入れて渡してくださった。


【二軒目:八頭司伝吉本舗】

八頭司伝吉は”やとうじでんきち”と読む。小城羊羹のお店で大正時代の創業だそう。(そういえば小城に行った時に本店を見かけた。)

こちらのお店では店員さんが淹れてくださったお茶と羊羹が出てきた。
このお店の羊羹は初めて食べたけれど、表面の結晶化した砂糖がサクサクしていてすごく美味しい。

お茶と一緒に出てきたものとは別にこちらの羊羹も頂いた。


【三軒目:村岡総本舗】

こちらは村岡総本舗の唐人町店。入り口にも銘菓めぐりのポスターが貼ってある。

ここでは「とら焼き宗歓」を頂く。
ちょうど小腹も空いていたので、これはセルフサービスのお茶と一緒に店内のテーブルで頂いた。
確かに皮の模様が虎柄っぽい感じ。中に入っているのが紅煉の餡で見た目にも華やか、生地がどら焼きよりもふわふわしていて柔らかい。


【四軒目:北島】

丸ぼうろのお店の代表格の1つ。店内には和菓子以外にもクッキーや洋菓子も並んでいる。

ここでは丸ぼうろとごまぼうろを頂いた。
ごまぼうろはパリッとしていておせんべいに近い食感。ごまの粒と風味も香ばしい。
そしてスタンプがパックマンぽい。北島のHPによると“マルロー”という丸ぼうろをイメージした北島のキャラクターとのこと。


このクーポンは発行当日の1日限り有効。
4つのお店はすべて中央通り沿いにあるので廻りやすかった。どのお店もイートインスペースがあるのでその場でお菓子を頂くこともできる。街を歩きまわる途中の休憩にもいいかもしれない。

(来訪日:2018/04/22)

肥前さが幕末維新博覧会 幕末維新記念館

平成三十年(2018年)は明治維新から150年ということで全国各地で記念行事が計画されているが、佐賀でも3月から「肥前さが幕末維新博覧会」が開催されている。

前回桜の時期に佐賀に来た際には時間が足らず観に行けなかったので、改めて維新博の会場を訪れたいと思う。

これは佐賀駅の改札口。構内は維新博一色といった感じでポスターなどが多数掲示してある。

駅前にも会場や関連施設を案内する大きなボードが設置されている。
地図の横には原泰久氏による鍋島直正公の絵も。

佐賀駅からメイン会場までは、徒歩の場合は中央大通りを約20分程歩く事になるが、この維新博に合わせて沿道に25体の偉人モニュメントが設置されている。
やや距離のある会場までモニュメントを見つつ楽しんで歩いてもらおうという意図だと思うが、これはいいアイディアだと思う。

手前の3体のモニュメントは、右から鍋島茂義、鍋島直正、古賀穀堂。

その他のモニュメントの人物は以下の通り。
大隈重信・副島種臣・枝吉神陽・島義勇・佐野常民・江藤新平・大木喬任・辰野金吾・曾禰達蔵・中林梧竹・田澤義鋪・下村湖人・志田林三郎・黒田チカ・森永太一郎・江崎利一・伊東玄朴・相良知安・石井亮一・石井筆子・中冨三郎・市村清

 

市村清はリコーの創業者(佐賀市出身)。手に持っているのは、二眼カメラ リコーフレックス。

これから訪れる幕末維新記念館=市村記念体育館は彼が佐賀市に寄贈したものだそう。

これが幕末維新記念館。
体育館としてはやや小さめなサイズだと思うがすごく変わった形の建物。

維新博の会場は佐賀市内に数か所あり、ここがメイン会場とのこと。他にリアル弘道館(旧古賀家)、葉隠みらい館(旧三省銀行)。サテライト会場が鳥栖(中富記念くすり記念館)と唐津(旧唐津銀行)にもある。

幕末維新記念館は 「幕末維新」体感シアター・「技」からくり劇場・「人」賢人ラウンドシアター・「志」ことのは結び の4つのパートからなり、40分ほどかけて会場内を巡る。

音響や照明、風なども駆使して、幕末に佐賀藩が果たした役割や佐賀の偉人の業績や生涯を迫力ある映像で解説した内容だった。

貴重な史料をガラスケースに入れて展示するのもいいが、そういった展示は人によっては退屈に感じてしまうかもしれない。こういった大きな映像で見せる手法だとアトラクション感覚で観れるし、小さい子供にもわかりやすいので、より多くの人が楽しめるのではと思う。
所要時間40分と聞いたときはちょっと長いかな、とも思っていたが、実際に巡ってみるとあっという間だった。

最後のことのは結びでは、自分のメッセージを会場に書き残すこともできる。
会場を訪れた人たちが書き残したメッセージを読むのも楽しかった。

(来訪日:2018/04/22)