シュガーロード紀行 佐賀#006 築地反射炉跡

シュガーロード紀行 佐賀#006 築地反射炉跡

六座町iを抜け長崎街道を辿ってさらに西へ進むと築地反射炉跡がある。
築地は「ついじ」と読む。

反射炉跡は日新小学校の敷地内にある。
小学校の校舎はどうやら建て替え工事の最中らしい。


ここが築地反射炉跡。
現在建っているのは後年造られたミニチュア版。

築地反射炉は日本で初めての実用反射炉で、ここで精錬した鉄で日本初の鉄製大砲が鋳造された。

反射炉の傍らにはカノン砲も。結構大きい。

佐賀藩が西欧列強の脅威を知るきっかけとなったのが文化5年(1808年)に起こったフェートン号事件。
長崎警護役を請け負っていた佐賀藩は、事件の不始末の責任をとるために家老数人が切腹、藩主も100日の閉門に処された。

だがこのフェートン号事件の苦い経験があったからこそ、直正公の代には藩内で富国強兵策と軍備の近代化が推し進められ、結果、「薩長土肥」と称されるように、幕末から明治にかけての日本で佐賀藩が新しい時代を切り拓く重要な役割を果たすことになったのだと思う。

これは記念碑のレリーフ。当時あった反射炉は2基で、一緒に描かれている人の大きさと比較すると、かなりの高さのある建造物だったことがうかがえる。

これは校門近くにあった石の柵。文字が読みづらかったのもあって何を記念して建てられたものかはわからなかったのだが、寄進者の名前と金額が刻まれているらしいのは分かる。

(来訪日:2018/04/22)