シュガーロード紀行 地図・目次・参考文献(随時更新)

シュガーロードマップ


マップ内 黒線は長崎街道、●は来訪地


目次

はじめに: 「肥前の菓子」との出会い

【長崎】 2017/06
#001 長崎街道ここにはじまる
#002 鎮西大社 諏訪神社
#003 月見茶屋
#004 松森天満宮
#005 西山神社
#006 興福寺
#007 カステラ老舗巡り 福砂屋
#008 カステラ老舗巡り 松翁軒
#009 萬順のよりより
#010 長崎市の市章

【大村】 2017/07
#001 大村駅
#002 アーケード街と重なる大村宿
#003 玖島城址
#004 玖島城址の周辺
#005 龍神社
#006 大村寿司
#007 長崎地方の一口香

【諫早】 2017/07
#001 永昌代官所跡
#002 諫早神社
#003 諫早の眼鏡橋
#004 菓秀苑森長
#005 建替途中の諫早駅
#006 諫早と大村の黒おこし

【平戸】 2017/09
#001 日本の西の端
#002 松浦史料博物館
#003 閑雲亭と烏羽玉
#004 平戸オランダ商館
#005 蔦屋のカスドース
#006 熊屋の牛蒡餅
#007 平戸松浦氏・平戸と砂糖・鎮信流・百菓之図
#008 東西百菓之図

【嬉野】 2017/11
#001 俵坂関所跡を見に行く
#002 瑞光寺
#003 豊玉姫神社
#004 あめがたやのあめがた

【塩田】 2017/11
#001 八天神社
#002 塩田川の荷揚場跡
#003 塩田の長崎街道
#004 塩田の恵比須像
#005 塩田の仁王像
#006 杉光陶器店
#007 佐賀地方の逸口香

【小城】 2018/02
#001 小城駅と唐津線
#002 羊羹のまちと梧竹さん
#003 村岡総本舗本店と羊羹資料館
#004 須賀神社
#005 深川家揚羽の蝶
#006 小城公園の桜
#007 小城羊羹とその歴史

【牛津】 2018/02
#001 牛津駅
#002 九州の百貨店王と牛津町会館・牛津赤レンガ館

【佐賀】 2018/04
#001 銘菓めぐりの旅
#002 佐嘉神社
#003 焼きたて丸ぼうろを試食
#004 伊勢神社
#005 六座町
#006 築地反射炉跡
#007 佐賀藩の御菓子司 鶴屋
#008 鶴屋の丸房露 北島の丸芳露
#009 鶴屋の肥前ケシアド
#010 森永太一郎と江崎利一

【唐津】 2018/07
#001 菜畑遺跡
#002 唐津曳山と唐津神社
#003 唐津城
#004 旧唐津銀行
#005 松露饅頭

【浜崎】 2018/07
#001 浜崎のけえらん

【博多】 2018/08
#001 鴻臚館と大宰府官道
#002 承天寺の御饅頭所之碑
#003 豊臣秀吉と神屋宗湛・太閤町割・利休釜掛之松
#004 筥崎宮に残る千利休の石灯篭
#005 福岡藩の御菓子司と鶏卵素麺

【太宰府】 2018/08
#001 お菓子の神様の神社
#002 お石茶屋
#003 太宰府の梅ヶ枝餅

【飯塚】 2018/11
#001 ひよ子の工場見学に行く
#002 旧 伊藤伝右衛門邸
#003 飯塚市街に残る長崎街道の面影
#004 飯塚の名のおこり 曩祖八幡宮・飯の山
#005 千鳥屋本家の千鳥饅頭・千鳥サブレ
#006 さかえ屋のすくのかめ

【小倉】 2019/03
#001 小倉城と常盤橋
#002 常盤橋周辺の旧街道
#003 小倉駅前に残る門司往還の痕跡
#004 軍都小倉と栗饅頭
#005 森鴎外の小倉日記
#006 八幡製鐵所と鐵平糖
#007 大里・門司・門司港

【熊本】 2019/06
#001 細川忠興と加勢以多
#002 加藤清正と朝鮮飴(長生飴)
#003 SWISSのリキュールマロン


参考文献

● 肥前の菓子―シュガーロード長崎街道を行く
村岡安廣 著/佐賀新聞社

● 九州文化図録選書1 長崎街道 大里・小倉と筑前六宿
図書出版のぶ工房

● 九州文化図録選書2 長崎街道 肥前佐賀路
図書出版のぶ工房

● 九州文化図録選書3 長崎街道 肥前長崎路と多良海道
図書出版のぶ工房

● 九州文化図録選書4 平戸街道 江迎筋と御厨筋
図書出版のぶ工房

● 九州文化図録選書5 唐津街道 豊前筑前福岡路
図書出版のぶ工房

● 九州文化図録選書6 唐津街道 肥前佐賀長崎路から時津街道へ
図書出版のぶ工房

● 江戸時代の平戸の菓子
江後廸子・つたや総本家

● 村岡総本舗 羊羹資料館案内
村岡総本舗

● 和菓子 第九号 特集-九州
株式会社虎屋 虎屋文庫

● 海路 第三号 特集-九州と菓子
海鳥舎

● 砂糖の通った道 菓子から見た社会史
八百啓介/弦書房

● 筑紫菓匠五十二萬石如水庵 創業四二〇年の軌跡
荻野忠行 著・森恍次郎 監修/梓書院

● 佐賀の街道見聞録
川上茂治/横蔵亭

シュガーロード紀行 小倉#007 大里・門司・門司港

門司駅から大里へ


小倉から少し足を伸ばして門司往還終点の宿場町だった大里にも行ってみたい。
小倉駅から電車に乗り門司駅へ。駅を出て海側に向かって歩く。

この付近が大里(だいり)と呼ばれるのは、その昔壇ノ浦の合戦があったころ、安徳天皇の御所=内裏(だいり)がここに置かれたことに由来しているそう。

大里は大正時代に九州で初めてのビール工場が建てられた場所でもあり、その工場跡は現在、門司赤煉瓦プレイスとして観光スポットになっている。

赤煉瓦プレイスの中を走る通りがかつての門司往還。

現在赤煉瓦交流館となっている建物の横には長崎番所跡と記された小さな石碑が立っている。碑の側面にはこう書かれている。

寛政十一年(1799)、幕府(長崎奉行所)は大里浦出張所をここに設置した。
当時、玄界灘に出没した密貿易船の取締りと、対唐貿易の代物(俵物諸色)を長崎に送る為、保管仲継の基地として設置した。


門司麦酒煉瓦館の傍らには大きな松が。この松は旧街道時代からある古い木らしい。

大里の海岸から眺めた海。
江戸時代には島津氏・鍋島氏などの九州の大名が参勤交代の際にここから本州へ渡っていた。

本州への渡航は黒崎宿からも行われていたが、参勤交代の時期は諸大名の利用が集中し宿場が大混雑してしまうため、その混雑を避けるためにも大里を利用する大名が多かったそう。

大里の海岸近くの街道沿いには、各大名が宿泊所としていた屋敷が立ち並んでいた。
長崎港に上陸し長崎街道をはるばる歩いてきた象も、ここから船に乗り海峡を渡ったと記録に残っている。

門司港駅

さらに足をのばして、今年3月に修復工事が完了した門司港駅も観に行ってみたい。

修復工事にかかった時間は約6年、資料が乏しく大変な苦労があったそうだが大正時代の姿に復元されたとのこと。

これは「0哩(マイル)」の碑。

明治時代に九州に鉄道が開通して以降、ここは九州の鉄道の起点で、当時は「門司駅」と呼ばれていた。旅客や貨物は門司駅までやってくると連絡船に乗り換えて本州へ渡っていた。

その後昭和になり関門トンネルが開通すると、大里にあった駅が門司駅と呼ばれるようになり、旅客・貨物とも門司駅から関門トンネルへ入り本州へ運ばれるようになる。あわせて以前の門司駅は「門司港駅」という名前に改められた。

プラットホームも、傘のついた電球が下がっていてとてもレトロな雰囲気。

外観だけでなく内装も素敵な駅だ。

(来訪日:2019/03/24)

シュガーロード紀行 小倉#006 八幡製鐵所と鐵平糖

小倉でも江戸時代から様々な菓子が作られていたが、現在よく知られている小倉銘菓の多くが誕生したのが明治-大正期。

近代小倉の発展は、明治8年(1875年)陸軍の第十四師団が旧小倉城内に置かれたことにはじまる。大きな軍隊の駐屯地であったため次第に軍需産業も盛んになっていく。

また、明治34年(1901年)に官営の製鉄所として操業を開始した八幡製鐵所に代表されるように鉄工業のまちとしても栄えた。

軍都そして工業都市として人口が増え、ちょうど製菓原料の砂糖や小麦粉が大量に流通するようになった時期だったことも重なり、明治から大正頃には小倉でもたくさんの菓子が製造・消費されるようになった。

(実は九州で一番最初の政令指定都市に指定されたのは北九州市。このことからも小倉がいかに人口が多く都市として発展していたかが窺えると思う。)

近代に産業の発展に伴って菓子文化が発展していく様子は、地理的にも非常に近い筑豊地方とよく似ている気がする。

鐵平糖

八幡にある千草ホテルと入江製菓というお菓子メーカーの二社がコラボして生まれた”鉄の味がする”金平糖、その名も「鐵平糖(てっぺいとう)」。
鉄の味がするのは、同じ八幡地区にある八幡製鐵所にちなんで作られたからだそう。

このお菓子の誕生の経緯は是非千草ホテルさんのブログ記事にてご覧いただきたい。
「鐵平糖(てっぺいとう)」誕生秘話|千草ブログ

見た目も少し錆びた赤っぽい鉄の色。

食べてみると…
口に入れた瞬間はちょっと酸っぱい味がする。鉄の味と言われればそんな気もするような…。しばらく口に入れていると甘い金平糖の味に変わってくる。

時代が前後するが、金平糖はスペインのお菓子「コンフェイト」が安土桃山時代に南蛮文化の一つとして日本に伝来したものとのこと。

「肥前の菓子」によると、外国人宣教師が書き残した当時の記録(ルイス・フロイス「大日本史」)には、織田信長にも金平糖が献上され、信長は大変気に入って食べていた様子が記されているそう。

金平糖は伝来した頃から現在に至るまで、その製法はほとんど変わっていない。
ゆっくりと回転する釜の中に芥子の種や胡麻粒など核となるものを入れ、煮溶かした砂糖の液を根気よく掛け続け、数日から1~2週間ほどかけて徐々に大きな粒にしていく。

作るのに大変手間のかかるお菓子で、あの特徴的なツノをきれいに作るには職人の熟練の技と勘が必要とのこと。

九州にも多くあった金平糖の製造会社だが廃業などで次第になくなり、入江製菓さんは現在では数少ない製造元となっている。創業は昭和9年の老舗、金平糖をはじめ様々な飴を製造している。

金平糖の通販サイト いろは屋の金平糖

シュガーロード紀行 小倉#005 森鴎外と小倉日記

大正12年に小倉で創業した菓子舗、つる平が販売しているお菓子、「小倉日記」。
商品名は、 明治時代に軍医監としてこの地に赴任した森 林太郎=森 鴎外の同名の著作に由来する。
パッケージデザインもレトロでいい感じ。


小ぶりなバウムクーヘンの中にクリームが入っている。
(何故バウムクーヘンなのかというと、鴎外が留学したドイツのお菓子に因んで、とのことらしい。)

商品自体は昭和40年代に販売されたものなので、昔ながらの伝統的な菓子ではないが、食べてすごく美味しかったお菓子なので紹介しておきたい。
小倉北区にある鴎外旧宅の来訪記はいずれまた改めてUPする予定。

つる平 | 北九州銘菓 「ぽんつく」 「小倉日記」 

シュガーロード紀行 小倉#004 軍都小倉と湖月堂の栗饅頭

湖月堂 喫茶去


旧門司往還沿い、魚町商店街の中にある湖月堂本店。
店舗の隣にはゆったりした飲食スペース 喫茶去が併設されている。

店名を聞くと喫茶店なのかな?と思うが、食事メニューも充実していてお食事処も兼ねている感じ。

ここでおやつセットを頂く。飲物はコーヒー・紅茶・お抹茶、お菓子は和風・洋風から好きな組み合わせで注文できる。
写真はお抹茶+和風お菓子。ちょっと意外な取り合わせだったがアールグレイ味のマカロンが特に美味しかった。

湖月堂の栗饅頭

北部九州民にはTVCMでもおなじみ、湖月堂の栗饅頭。

日清日露戦役の頃、勝栗を包み「栗饅頭」として発売したところ、その趣向が当時の戦勝を願う風潮に受け入れられたこともあり、広く皆様にご愛顧を頂きました。
以来、「栗饅頭は湖月堂」として、弊社の代表銘菓になっております。
(湖月堂HPの商品紹介より)

戦時の縁起物が元となり小倉を代表する菓子となった経緯が面白い。

「湖月堂」という店名も、店主と親交のあった陸軍の師団長に命名してもらったものだそうで、軍都だった小倉ならではのエピソードという感じがする。

店頭では大きいサイズと小さいサイズが売られていたが、今回は小さいサイズを購入した。

中には栗を練り込んだ餡と蜜漬けの栗が入っている。表面の栗の皮のような茶色のつやつやは卵黄を塗って焼くことで形成されるそう。
餡も皮もしっとりとしていて程よい甘さのお饅頭だ。

(来訪日:2019/03/24)

シュガーロード紀行 小倉#003 小倉駅周辺に残る門司往還の痕跡

常盤橋を渡って東側、京町の商店街の入り口には参勤交代往還路(門司往還)を示す標識がある。
門司往還は常盤橋から門司方面へと向かう約16kmほどのみじかい街道。

門司往還は真っ直ぐ小倉の市街中心部を横断している。
京町・魚町のアーケード街の一部は、大村や飯塚と同じく、街道だった道筋がそのまま商店街になっている。

商店街を抜けて小倉駅前の大通りへ。

商店街出口からの横断歩道は門司往還の道筋を示しているらしい。

この横断歩道を渡った先にはコレットという大きな商業施設があるが、この建物は門司往還の真上に建っていることになる。

コレットの東側の出口正面には参勤交代往還路について解説する看板も建てられている。

看板の向こう側に真っ直ぐ続いている通りがかつては門司往還だった道。

googleMAPで見るとわかりやすい。

図中赤の点線で示したのが門司往還、先ほどの駅前の横断歩道が図中Aの箇所、Bが参勤交代往還路の看板。コレットの建物内の通路も旧街道の道筋とぴったり重なり合う直線になっているのが面白い。

シュガーロード紀行 小倉#002 常盤橋周辺の旧街道

常盤橋は長崎街道だけでなく、唐津街道・秋月街道・中津街道・門司往還の起終点でもあり、言ってみれば江戸時代における九州の交通の頸動脈のような場所だった。


地図で見るとこんな感じ。
江戸でいうところの日本橋みたいな感じだろうか。

常盤橋周辺の旧長崎街道には、こんな標識が埋め込まれている。
あと戻りするかたちになるが、常盤橋の西側を街道の標識をたどってちょっと歩いてみたいと思う。

常盤橋の手前、室町の通りは道幅も狭く街道だった頃の面影が残っている。
(画面中央 奥に見えるのが常盤橋。)

「小倉縣廰ノ址」の石碑。小さい石碑なので気づかずに通り過ぎそうになった。

“縣廰”は県庁のこと。昔は小倉県というのものがあったらしい。調べてみたら明治四年から明治9年まで存在していた模様。
Wikipedia 小倉県


そのすぐ近くに、小倉県庁だった建物の一部も残っている。
今はお店が入居して営業していた。


ちょっと横道にそれたが旧長崎街道にまた戻る。

通り沿いにある建物の一角には「長崎街道ギャラリー」という展示コーナーもあり、発掘調査の際に出土した古銭や陶磁器などが展示されていた。日本各地、さらには海外の様々な陶磁器を見ることができる。

飯塚で見た黒ポストがここにもあった。

そしてここは長崎街道と唐津街道の合流点だった交差点。今では住宅の間の静かな通りとなっている。

(来訪日:2019/03/24)

シュガーロード紀行 小倉#001 小倉城と常盤橋

春先の某日、小倉にやってきた。
まずは小倉のシンボル、小倉城を訪れたいと思う。


小倉に最初に城を築いたのは戦国時代に中国地方を支配していた毛利氏。
関ヶ原の戦いの後、この地の領主となった細川忠興によって天守閣を持つ小倉城が築城された。

細川氏はこの後肥後熊本に配置替え、代わって譜代大名の小笠原氏が藩主となり以後幕末まで小笠原氏がこの地を治める。(本州への接続地・九州の要でもあったこの場所を譜代大名に守らせたいという幕府の思惑があった為らしい。)

天守閣は天保年間に火災により焼失、その後幕末の長州征討の際に小笠原氏自らが城を燃やしてししまう。

現在の天守閣は昭和30年代に再建されたもの。
天守閣の最上階が出っ張った「唐造」という珍しい構造になっている。城の内部は細川氏・小笠原氏や小倉の歴史に関する史料が展示されている。城内には小倉城庭園や八坂神社もあり、散策をするのも楽しい。

常盤橋

小倉城のすぐそば、市街中心を流れる紫川に架かるのが常盤橋、ここが長崎街道の起終点。

1611年、筑前六宿が整備された。 遅くとも1624年9月までには、橋が架けられた(細川藩日帳)。

当初から幕末まで大橋と呼ばれ、元禄からは常盤橋とも呼ばれるようになった。参勤交代や外国文物・産品の往来のほかに、武士が多く住む西曲輪と町人が多く住む東曲輪を結ぶ橋として、上流にある豊後橋と共に使われた。

明治時代、県の直轄管理(1881年)となり、鉄橋(1889年)となったが、上流に勝山橋、紫川橋ができると、その役割は小さくなっていった。

Wikipedia「常盤橋」

現在の橋は1995年にかけ替えられたものが、橋の西岸のたもとには江戸時代の橋で橋脚に使われていた石も置いてある。

昔の荷揚げ場も復元されている。


常盤橋は伊能忠敬の九州における測量の開始地点でもあったことから、東岸には「伊能忠敬顕彰碑」も設置されている。

顕彰碑のある場所からは、ちょうど株式会社ゼンリンの「地図の資料館」が入っているビルも見える。今と昔の、それぞれ日本の地図作成の第一人者的存在が一つの風景に収まっているのは何だか感慨深い眺めだ。

(来訪日:2019/03/24)

シュガーロード紀行 飯塚#006 さかえ屋のすくのかめ

飯塚の菓子店、千鳥屋の次に訪れたのはさかえ屋の飯塚本店。

創業は1949年。
“さかえ屋”という店名は、実は千鳥屋本家のそばにあった栄橋に由来しているそう。


この日本家屋は、昔おかき工場として使われていた建物を移築したもの。現在は喫茶スペースとギャラリーになっていて、お菓子や飲み物を楽しんだり休憩できるようになっている。写真左奥に見えているのが店舗。


店舗の前にはシュガーロードの由来を記した看板もあった。

お店に入ると、色々な種類の和菓子、洋菓子、さらにアイスなどたくさんの商品が並んでいる。
ケーキ類の並んだショーケースの中に、その名も「シュガーロードシュー」というシュークリームがあるのを発見して思わず買ってしまった。

すくのかめ

さかえ屋で買ってきたお菓子の実食、まずはすくのかめ。

今は「なんばん往来」がいち推し商品のようだが、私が小さい頃は、さかえ屋といえばすくのかめだった。
このお菓子の製造開始は1957年、名前の由来は、弥生時代の遺跡から出土した須玖式土器らしい。

かめの形の最中のなかには、餡と求肥が入っている。
定番の味は小豆と抹茶の2種、季節によって限定商品も発売されるらしい。今回は抹茶と柚子を購入した。

抹茶は見た目も美しい緑色の抹茶餡入り、期間限定の柚子味には細かく刻んだ柚子の皮も入っていてさわやかな風味が楽しめた。

シュガーロードシュー


名前に釣られて買ってしまったこの商品、最近作られるようになったものだと思うが、洋菓子製造にも力を入れているさかえ屋さんなだけあって美味しいシュークリームだった。

皮はしっかり固め、大きな粒状の砂糖がまぶして焼いてあるのでザクザクした食感で、バニラの黒い粒々の入ったカスタードが入っている。生菓子なので限られた店舗だけで取り扱っている商品かもしれない。

(来訪日:2018/11/25)


シュガーロード紀行 飯塚#005 千鳥屋本家の千鳥饅頭・千鳥サブレ

飯塚とお菓子

飯塚で様々なお菓子が作られるようになるのは、炭鉱業が盛んになる明治~大正期。

(工場見学に行ったひよ子の吉野堂も、明治30年に飯塚で開業、ひよ子を売り出したのは大正元年のこと。チロルチョコで知られる松尾製菓が現在の田川市で製菓業を開業したのも明治36年だった。)

炭鉱で過酷な肉体労働をする人達に、体力を補い疲れを癒すために甘いお菓子が大変好まれたことも大きく関連しているだろう。

その頃の筑豊炭田には150以上の炭鉱があり、日本全国そして外地からもたくさんの炭鉱労働者が集まっていた。

また、飯塚も長崎街道の宿場町=砂糖やお菓子その製法の通り道だったので、お菓子の一大生産地となる素地が近代以前から既にあったことも大きく影響していると思う。

筑豊炭田の石炭生産量と人口が右肩上がりで増えるにつれて、お菓子の消費量も一層高まり、飯塚だけでなく筑豊一帯で製菓業はますます盛んになっていく。

千鳥屋本家

飯塚の老舗のお菓子屋さんを訪れてみたい。一軒目は旧伊藤邸に電話番号の貼り紙があった千鳥屋。

白壁の純和風の店舗がとても素敵。
金文字の看板にも老舗ならではの重厚感がある。

お店の横には、橋の欄干らしきものがあった。

らんかんに みだれ飛ぶかな 千鳥跡
原田青夜こと利一郎

飯塚川にかかっていた栄橋は昭和初期に造られ千鳥屋本店横の橋のらんかん(親柱)には、上部に銅板装飾の千鳥のマークが刻まれております。
平成二十三年四月

今はなくなっているが、昔はここに飯塚川という川があり、橋がかかっていたらしい。

千鳥屋の歴史

天正十八年(1590)
九州北部を支配していた龍造寺隆信の子・政家が病弱のため、家臣の鍋島直茂(鍋島藩祖)に領地を譲り、太俣郷(現・佐賀県佐賀郡久保田町)に隠居。家臣の原田家も政家にしたがって移住。やがて武家の内職として酒饅頭などの菓子を作り、生計を立てる。

寛永七年(1630)
原田家が佐賀県佐賀郡久保田町に「松月堂」の屋号で本格的に丸ボーロ、カステラを中心としたお菓子屋を始める。
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昭和二年(1927)
福岡県嘉穂郡飯塚町住吉の中央市場(現・飯塚市本町の永楽通商店街)入り口に松月堂の飯塚支店として「千鳥屋」を開店。千鳥饅頭、丸ボーロ、カステラの三品を専門に製造販売。

–千鳥屋本家 沿革 より-

千鳥屋のHPを見ると、ご先祖は戦国大名 龍造寺家に仕えるお武家さんだったとのこと。千鳥屋の前身の松月堂の創業は寛永七年(1630)、ということは、単純計算で今年は創業389年目ということになる。

お店の歴史の古さにも驚くが、もとは佐賀のお菓子屋さんだったことも意外だった。久保田は以前訪れた小城や牛津の隣にあり、そこも長崎街道が通っていた場所。

松月堂が飯塚に支店を出した昭和2年頃は、筑豊炭田が日本最大規模の炭田となり、ちょうど最盛期を迎えていた時期にあたる。その後、松月堂は昭和14年に閉じられ、以後飯塚の千鳥屋が本店となった。
(確かなことは分からないのであくまで推測だが、本拠地を移すほどに当時の飯塚での売上げが大きかったのかもしれない。)

なお現在は、飯塚が本拠地のこの千鳥屋本家と、福岡市博多区が本拠地の千鳥饅頭総本舗の2社に分かれている模様。

この飯塚の紀行を行うまで私も千鳥屋が2社あることに気付いていなかったが、現在福岡で流通している千鳥饅頭も実は2種類あるということになる…。

店内には和菓子の他に洋菓子(特に焼き菓子)も色々並んでいる。
チロリアンもこの店の看板商品。カステラ、丸ボーロも今も売られている。

ここでは千鳥饅頭などを購入した。

千鳥屋本家

千鳥饅頭

飯塚で買ってきたお菓子を試食してみたい。まずは千鳥饅頭。

創業三百七十余年来、守り続ける伝統のカステラと丸ボーロから生まれた千鳥屋の代表菓です。

口ほどけのよいやわらかな舌ざわりの白餡と風味よい焼き皮の上品な甘さ。凛とした姿は、時代を越えて皆様に愛され続けております。
千鳥屋HP より-


お饅頭には千鳥の焼き印が捺されている。皮はやや凹凸がある見た目で、特に皮の表面部分はしっとり感よりサクッと感がある。
いわれてみれば確かに丸ぼうろにも通じる食感があるような…。白あんはなめらかでやさしい甘さ。

この千鳥饅頭にも言えることだが、長い間愛され続けるお菓子にはシンプルなのに飽きのこない味わいがあると思う。

千鳥サブレ


店頭で見つけたので千鳥饅頭と一緒に買った商品。
千鳥屋にサブレがあるのは知らなかった。商品名も筆書きで包装も何だか和風の趣き。


このサブレは何と言っても形がかわいい。さっくりと焼き上げられていて素朴な味わいだった。

(来訪日:2018/11/25)