シュガーロード紀行 小倉#001 小倉城と常盤橋
春先の某日、小倉にやってきた。
まずは小倉のシンボル、小倉城を訪れたいと思う。
小倉に最初に城を築いたのは戦国時代に中国地方を支配していた毛利氏。
関ヶ原の戦いの後、この地の領主となった細川忠興によって天守閣を持つ小倉城が築城された。
細川氏はこの後肥後熊本に配置替え、代わって譜代大名の小笠原氏が藩主となり以後幕末まで小笠原氏がこの地を治める。(本州への接続地・九州の要でもあったこの場所を譜代大名に守らせたいという幕府の思惑があった為らしい。)
天守閣は天保年間に火災により焼失、その後幕末の長州征討の際に小笠原氏自らが城を燃やしてししまう。
現在の天守閣は昭和30年代に再建されたもの。
天守閣の最上階が出っ張った「唐造」という珍しい構造になっている。城の内部は細川氏・小笠原氏や小倉の歴史に関する史料が展示されている。城内には小倉城庭園や八坂神社もあり、散策をするのも楽しい。
常盤橋
小倉城のすぐそば、市街中心を流れる紫川に架かるのが常盤橋、ここが長崎街道の起終点。
1611年、筑前六宿が整備された。 遅くとも1624年9月までには、橋が架けられた(細川藩日帳)。
当初から幕末まで大橋と呼ばれ、元禄からは常盤橋とも呼ばれるようになった。参勤交代や外国文物・産品の往来のほかに、武士が多く住む西曲輪と町人が多く住む東曲輪を結ぶ橋として、上流にある豊後橋と共に使われた。
明治時代、県の直轄管理(1881年)となり、鉄橋(1889年)となったが、上流に勝山橋、紫川橋ができると、その役割は小さくなっていった。
現在の橋は1995年にかけ替えられたものが、橋の西岸のたもとには江戸時代の橋で橋脚に使われていた石も置いてある。
昔の荷揚げ場も復元されている。
常盤橋は伊能忠敬の九州における測量の開始地点でもあったことから、東岸には「伊能忠敬顕彰碑」も設置されている。
顕彰碑のある場所からは、ちょうど株式会社ゼンリンの「地図の資料館」が入っているビルも見える。今と昔の、それぞれ日本の地図作成の第一人者的存在が一つの風景に収まっているのは何だか感慨深い眺めだ。
(来訪日:2019/03/24)
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