シュガーロード紀行 牛津#001 牛津駅

シュガーロード紀行 牛津#001 牛津駅

小城まで来たので、長崎街道の宿場でもあった牛津へも足をのばしてみたい。
小城から唐津線で隣駅の久保田まで戻り、久保田から長崎本線に乗り換えて次の駅が牛津。

(余談だが、大正期に飯塚で千鳥饅頭を売り出す原田家はもとは久保田で「松月堂」の屋号で菓子屋を営んでいた。筑豊炭鉱が最盛期を迎える昭和初期に飯塚に支店「千鳥屋」を出すが、その後昭和14年に松月堂をたたみ飯塚に本店を移したらしい。)

小城駅もレトロで素敵な駅舎だったが、牛津駅も凝ったデザインの駅舎。最近建てられたものっぽい。

建物はレンガ調の洋風な作りだが、屋根は和風の瓦葺き。

駅のそばには長崎街道をテーマにしたこんなモニュメントもあった。
絵の中には象や南蛮風の衣装を着た人物も描かれている。

長崎街道を紹介する看板も立てられていた。(以下看板より抜書)

長崎街道は小倉から幕府直轄地の長崎までの主要道路で、砂糖が運ばれた道でもあることから、近年は「シュガーロードと愛着を持って呼ばれています。
ここ牛津宿には長崎奉行や大名が宿泊する上使屋、行政の掲示板である高札場(県立牛津高校正門脇)、馬立場があり、旅籠や商家も多く宿場町として賑わっていました。また、新町には小城藩の港が整備され、様々な産物の集散地として栄えました。
ドイツの医学者であるケンペル(一六五一~一七一六)や医学者であり博物学者でもあるシーボルト(一七九六~一八六六)も江戸への道としてこの街道を往来し、紀行文を記しています。
JR牛津駅は宿場町中心部から新町にあった藩港へ向かう途中にあたります。

平成二十九年三月 小城市教育委員会

川港があり物資の集散地としても栄えたという点で、牛津は塩田とよく似た宿場町だったかもしれない。物流網も交通網も時代の流れと共に変化し、ここも今では静かなまちになっている印象を受けた。

(来訪日:2018/02/11)