シュガーロード紀行 小城#004 須賀神社

シュガーロード紀行 小城#004 須賀神社

村岡総本舗・羊羹資料館の目の前にあるのが須賀神社。
(この日は時折雪が降っていて、この写真を撮ったときには雪が激しくなった。)

見ての通り、階段というより斜面に立てかけた梯子のようなすごい傾斜の参道が山頂の神社まで続いている。

九州北部を歩いていると、至る所でその名前を目にする人物が三人いる。
それは神功皇后と、空海と、豊臣秀吉。
豊臣秀吉は九州征伐や文禄・慶長の役の際に九州を訪れているので、ゆかりの物や史跡が色々と残っている。

ここにも「太閤腰掛石」というものがあった。
ちょっと腰を下ろした石でさえ400年後の今も残っているというのは、考えようによってはとても凄いことかもしれない。

参道に建てられた看板。
ここは中世に小城一帯を支配した千葉氏の居城跡でもある。

看板にもある通り、須賀神社はもとは祇園社という名前だった。
御祭神はスサノヲノミコト、クシナダヒメノミコト。

名前が変わったのは明治の始めだが、地元の人たちは今でも「お祇園さん」と呼ぶらしい。
参道には橋が架かっているが、神社の前に流れている川も祇園川という名前がついている。この川は、夏には源氏蛍が飛び交う清流でもある。


小城は「小京都」とも呼ばれるが、小京都の定義はだいたい以下のようなものらしい。

室町時代以降,各地の大名が京都をまねた町作りを行い,いわゆる〈小京都〉の出現をみるが,その際,京都のシンボルとして祇園社が勧請され,それにともなって祇園祭の様相も導入される場合が多く,京都の祇園祭の地方都市への伝播が進んだ。ことにその中心をなす山鉾は地方都市の祭礼に大きな影響を与え,祇園社勧請の有無を問わず,山車(だし)のでる祭りの形態を全国に普及させることとなった。
コトバンク 世界大百科事典内の小京都の言及

京都に類似した特色をもつ地方の小都市。多くは山に囲まれていて、寺社、特に五重塔があり、地域の中央を川が流れる。
コトバンク デジタル大辞泉

確かに祇園社があるし、この神社に奉納される祭りでは山車も曳かれる。
五重塔は…ないけれど古刹もある。そして川もある。
こうやって見てみると、小城は小京都の要件をしっかりと満たしている。


そしてここにも大きな御神木があった。大きすぎてうまくカメラに収まらない。

参道の石段を上るが、段の幅がものすごく狭い。
休み休み息を切らしながら何とか登り切って参拝する。

狛犬の台座には牡丹らしきお花も刻んであってちょっと珍しい。

一番上まで登りきると小城の街並みが一望できる。天気のいい日であればもっと遠くまできれいに見渡せそう。さっき訪れた村岡総本舗や羊羹資料館も眼下に見える。

しかし降りるときは、あまりの急傾斜に足がすくむ。

手すりが付けてあって本当に良かった。地元の方らしきご年配の方が軽い足どりですいすい石段を登っていくのを横目に、「もしここでこけたら下まで真っ逆さまに転げ落ちるんだろうなぁ」とか思いつつ、手すりにほぼしがみつくようにして一段一段そろそろと降りる。

石段を降りきった時は、本当に「地に足がついた」という感じで心底ほっとした。

(来訪日:2018/02/11)