シュガーロード紀行 飯塚#004 飯塚の名のおこり 曩祖八幡宮・飯の山
飯塚の地名の由来については曩祖八幡宮で触れたが、地名の起こりとなったもう一つの場所とされるのが「飯(いい)の山」。
先ほど通っってきたアーケード街の近所にあるそうなので見に行ってみたいと思う。
途中、明正寺というお寺の前には「勢屯り跡」の石碑が建っている。
参勤交代の大名が宿泊した際、出発に先立ち先触(さきふれ)・ひげ奴・金紋・槍持ちなどの整列を整えたところ。
なお明正寺には享保十四年(一七二九)八代将軍吉宗に献上された象が飯塚宿を通った記録があります。
勢屯り跡を過ぎ、もう少し歩いて小高い丘の坂をのぼる。
ここが飯の山、確かにご飯を盛ったようなこんもりとした形をしている(ような気がする)。
大きな山かと思っていたが、想像していたよりかわいらしいサイズ。
石碑も建てられている。
史跡 飯の山
昔、明星寺という寺の造営が行われたとき、その開堂供養のまつりに、飯をたくさん炊いたのが残り、それをこの地に集めたところ、飯の塚ができたので、それから飯塚と呼ぶようになったといいます。
また、神功皇后が「いつかまた逢おう」と将兵との別れを惜しまれたのが、地名の起こりであるという話と共に「飯塚」の地名の起源を説明する伝説の地であります。
ここはまた江戸時代、飯塚宿の上茶屋(本陣)のあったところでもあります。-飯塚市教育委員会-
“ご飯の塚ができた”という伝説は、この土地が昔からお米がたくさん実る豊かな土地だったことを如実に表しているのではないかと思う。
実際、飯塚では立岩遺跡という弥生時代の遺跡も発見されていたり、飯塚とその周辺地域には数多くの古墳も残っているらしい。
先ほどの説明文にもある通り、この飯の山と向かい合うところには御茶屋(本陣)跡を示す石碑も建てられている。
(来訪日:2018/11/25)
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