シュガーロード紀行 飯塚#003 飯塚市街に残る長崎街道の面影

シュガーロード紀行 飯塚#003 飯塚市街に残る長崎街道の面影

旧伊藤邸のある幸袋から、長崎街道を辿って飯塚宿(今の飯塚市中心部)方面へ向かう。


このあたりは、現在の国道220号線と一部重なりつつ並走するような道筋となる。


昔のままの道幅の通りには、古い町並みが残っていた。

ブロック塀と同化して、気づかずにうっかり通り過ぎそうになったが、飯塚宿に入る手前には「オランダ屋敷跡」と記された石碑も立ってた。長崎から江戸へ向かったケンペルやシーボルトはこのあたりに泊まったのだろう。

いまは駐車場や住宅地になっていて、この石碑以外には屋敷の痕跡は何も残っていない。

曩祖八幡宮(のうそはちまんぐう)

先ほどのオランダ屋敷跡の石碑から少し歩くと、曩祖八幡宮の前に出る。
道に面して大きな鳥居が並んでいるのが目を惹く。

刻まれた文字を読むと、今建っている鳥居は明治~大正の頃に建てられたものだが、江戸時代の飯塚宿とその周辺を描いた絵図を見ると、当時もまったく同じように街道に面して鳥居が並んで建っていたことがわかる。


御祭神は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・武内宿禰 そして天神地祇。曩祖八幡宮のHPを見ると、神社の歴史についてこのように書かれています。

神功皇后が三韓征伐からの帰途、納祖の森に祭壇を設けて天神地祇を祀り、長年つき従った九州の臣たちと別れを惜しんだと伝えられています。
このとき、人々が「またいつか尊顔を拝し奉らん」と口々に言い、この「いつか」が「飯塚」の名の由来であるといわれております。

社伝では、その跡に作られたのが当社であるといいます。
創建年代は不詳ですが、延文4年(1359年)には社殿が建立されてました。大正13年に県社に昇格しました。

神社歴史 | 曩祖八幡宮 

以前訪れた嬉野の地名の由来にも神功皇后の伝説が関連していたが、飯塚もそうだったことを知る。北部九州には他にも神功皇后に由来する地名が数多く存在している。(宇美・筥松・箱崎など)

市街に残る長崎街道の痕跡

曩祖八幡宮からまた少し歩くと、「構へ口跡」と書かれた石碑が建っている。
構へ口というのは宿場町の入り口のこと。

市街中心にある本町商店街のアーケードの通りは、そのまま飯塚宿のあった場所と重なる。
長崎の大村でも街道の宿場町がアーケード街として残っていた。

「長崎街道 飯塚宿」の看板もある。

黒ポストというものもあった。
後ろに架かっている説明文によると、九州で初めて郵便制度が整備された区間も長崎街道沿いだったことがわかる。

アーケードを抜けたところには長崎街道の案内図もある。

飯塚宿があった場所は、のちの時代に急速に市街化が進んだために建物などは殆ど残っていないが、近年の整備により何処に何があったかを示す石碑は数多く建てられている。

(来訪日:2018/11/25)