シュガーロード紀行 飯塚#002 旧 伊藤伝右衛門邸

シュガーロード紀行 飯塚#002 旧 伊藤伝右衛門邸

飯塚でまず最初に訪れるのは、筑豊の炭鉱王として知られた伊藤伝右衛門の旧宅。
西鉄バスでは天神から旧伊藤邸行きのバスが運行されている。

行先表示も「幸袋・伊藤邸」。(幸袋は伊藤邸の所在地名)
バスに揺られること約1時間、終点は旧伊藤邸のすぐそばなので降りて徒歩1~2分でお屋敷の前に到着する。


こちらが正門。
長屋門と呼ばれる門の両脇部分がお屋敷の使用人の住居スペースになっている作り。
この門は現在の福岡市天神の福岡銀行本店付近にあった伝右衛門の別邸(赤銅御殿)から移築したとのこと。


門の看板は麻生太郎氏が総理大臣だった頃に揮毫したものらしい。なお、麻生氏の家系も石炭産業で大きな財を成した筑豊御三家(麻生家・貝島家・安川家)のひとつである。


伊藤邸は敷地面積約2300坪、部屋数25、複数の蔵などもあり、屋敷の前には美しい日本庭園が広がる。

伝右衛門の死後 屋敷は人手に渡るが、個人でこの広大な邸宅と庭園を存続させることは容易ではなく、一度は取り壊しを検討されたこともあった。

その際に存続を求める市民運動がおこり、現在では飯塚市に譲渡されて保存と管理が行われているとのこと。

暖炉もある洋風の応接間。テーブルに飾られているのは伝右衛門と柳原白蓮の写真。

柳原白蓮は大正三美人の一人としても数えられた美貌の歌人。
伝右衛門は妻となった白蓮を迎え入れるために、この邸宅に贅をつくした改修を施した。白蓮は皇室とも血縁関係がある生まれ(大正天皇の従妹にあたる)だったので、このお屋敷の中には皇族のみが使うことのできる特別な装飾も施されている。


しかし、もともとが25歳も歳の差がある結婚。二人の気持ちがすれ違うことも多く、最後は白蓮の駆け落ちにより結婚生活は約10年で破綻する。


数年前、朝のTVドラマにも伝右衛門と白蓮が登場し、その際にこの伊藤邸も注目を集め来場者が急増したことがニュースになっていた。実際に視聴していないので詳細は知らないが、ドラマでは伝右衛門はあまり好意的な印象では描かれていなかったらしい。

確かに白蓮にとっては良き夫ではなかったかもしれないが、彼は筑豊の炭鉱業を振興させただけではなく、福岡銀行の設立を実現させたり、地域一帯の学校に寄付を行い職工学校や女学校を設立したり、農園を経営し作物の栽培を研究させたりと、さまざまな面で地域に貢献した人物でもあった。

また、太宰府天満宮や宮地嶽神社には、伝右衛門の奉納した鳥居が今も残っている。

お台所の近く、電話室のあった場所でこういうものをみつけた。

電話室(お貼りください)
御菓子司 飯塚千鳥屋
電 八三一

白い矢印がさす少し上に何やら黒ずんだ紙片が貼ってあるが、手前右の写真はその紙片を写したものらしい。

お屋敷でお菓子が入用なときには千鳥屋に電話をかけて注文していたのだろう。伝右衛門や白蓮も千鳥屋のお菓子をよく口にしていたのかもしれない。
思いがけなく菓子に関連する遺物も発見できて嬉しくなった。


ところで、この伊藤邸は長崎街道沿いに建っている。
長屋門の柵にも「長崎街道」と書かれた札が取り付けてあった。

周囲には白壁の家が並んでいて、昔の街道の面影を残している。


壁にこんな繊細な細工を施した古いお家もあった。左官さんが漆喰に鏝を使って描くもので「鏝絵」というらしい。

(来訪日:2018/11/25)