シュガーロード紀行 太宰府#003 太宰府の梅ヶ枝餅

シュガーロード紀行 太宰府#003 太宰府の梅ヶ枝餅

長崎地方の一口香 の記事でも触れたが、一口香や梅ヶ枝餅のルーツと考えられるのが中国の空心餅という食べ物。

この空心餅は甘いお菓子ではなく、中に甘辛く煮た挽肉や野菜を詰めて食べる料理で、皮の部分も小麦粉を練って作られるそうなので、お餅というよりは何だかハンバーガー中国版という感じもする。

「肥前の菓子」には空心餅の写真も載っていたが、見た目は確かによく似ている。焼き目の付き具合など梅ヶ枝餅にそっくりといった感じだった。


大宰府における梅ヶ枝餅の起こりとして広く知られているのは以下の逸話。

菅原道真が大宰府へ権帥として左遷され悄然としていた時に、安楽寺の門前で老婆が餅を売っていた。その老婆が元気を出して欲しいと道真に餅を供し、その餅が道真の好物になった。後に道真の死後、老婆が餅に梅の枝を添えて墓前に供えたのが始まりとされている。

別の説では、菅原道真が左遷直後軟禁状態で、食事もままならなかったおり、老婆が道真が軟禁されていた部屋の格子ごしに餅を差し入れする際、手では届かないため梅の枝の先に刺して差し入れたというのが由来とされており、絵巻にものこっている。

wikipedia「梅ヶ枝餅」

一説によれば、老婆が差し入れたのは粟餅だったと伝えられている。平安時代頃は雑穀が多く食べられていたので、餅も雑穀を使って作ったものが主流だったからだろう。
なお、現在の梅ヶ枝餅の皮はモチ米とうるち米の粉を主原料に作られている。

あんこが入るようになったのは小豆や砂糖が広く流通するようになった時代からで、それ以前はお味噌などが入っていたらしい。

太宰府名物として盛んにつくられるようになったのは明治期以降。現在、天満宮の参道にはたくさんの梅ヶ枝餅屋が軒を連ねている。

「梅ヶ枝餅」の名称は、生産者全員が加盟する梅ヶ枝餅協同組合が所有する登録商標となっていて、この協同組合が販売価格の統一も行っている。

お店により原料の配合や焼き方に違いがあるので味や食感はそれぞれ微妙に異なるが、こういった取り決めがあるのでどのお店でも同じ値段で売られている。

また、毎月25日(天神様の日)限定で、よもぎ入りの梅ヶ枝餅も販売されているらしい。ちょうど25日に大宰府に行くことがなかなかないのでまだ見たことがないが、一度食べてみたい気がする。


大村に行った際、大村神社の参道(玖島城跡の中というべきか)に梅ヶ枝荘というお店があった。
梅ヶ枝という名前に、「こんなところに梅ヶ枝餅?」と思ったら、実際に梅ヶ枝餅を売っているお店らしい。

正確な創業年は分かりませんが、江戸時代のすえに、初代の佐藤周蔵さんが太宰府に行って製法を学び、持ち帰ったのが始まりとされています。周蔵さんは大村藩に仕える武士であったことから、梅ヶ枝焼を城内で売ることを許され、現在に至っています。

太宰府の「梅ヶ枝餅」が組合として商標登録をしようとしたとき、「梅ヶ枝焼」は100年以上の歴史があることから、問題にはならなかったということです。

大村市 梅ヶ枝焼

上記にある通り、販売名は「梅ヶ枝焼」となっている。原料や製法も大宰府のものとはちょっと違うらしい。

初詣の時期と春~初夏の季節限定で販売されているそうで、食べログなどで写真を観るとこのお店の梅ヶ枝焼にも梅の紋が押されている。


近年、梅ヶ枝餅の名称を巡って商標侵害事件が起こったことも記憶に新しい。地域ブランドとしての梅ヶ枝餅を守り伝えていくには色々と苦労が伴うことも多いだろう。

初詣の筥崎宮の参道を歩いていたら、「梅ヶ枝餅」の屋台も出ていたが、「筥崎さんのやきもち」という看板を掲げた屋台もあった。宮地嶽神社の参道にも「松ヶ枝餅」という名物がある。

太宰府の参道だけに限らず、名前や製法を少しづつ変化させながら福岡県下で広く親しまれているお菓子でもある。