シュガーロード紀行 長崎#002 鎮西大社 諏訪神社

シュガーロード紀行 長崎#002 鎮西大社 諏訪神社

「長崎街道ここにはじまる」の石碑を見た後、もと来た道を引き返して諏訪神社に参拝する。

路面電車の走る大通りに面した参道の入り口の大鳥居。
その先にも連なるように幾つも鳥居が並んでいる。

鳥居の扁額には「鎮西大社」の文字。
“諏訪神社”という名の神社は全国各地にあるが、長崎のこの神社の正式名称は
“鎮西大社 諏訪神社”。

社殿までの参道が長い、というか高低差がすごい。
これでもまだ途中。休み休み長い階段を登る。


全部登りきって振り返るとこんな感じの眺め。長崎市街が眼下に広がる。

ようやく社殿にたどり着く。
この神社の御祭神は諏訪大神・森崎大神・住吉大神。

弘治年間より長崎に祀られていた諏訪神社・森崎神社・住吉神社の三社が起源である。
弘治元年(1555年)に、長崎織部亮為英が京都の諏訪神社の分霊を、現在の風頭山の麓に奉祀したのが始まりという説と、東松浦郡浜玉町の諏訪神社を勧請した説がある。

戦国時代に当地はキリスト教徒の支配地となり、当社を含めて領地内の社寺は全て破壊された。
江戸時代に入った後の寛永2年(1625年)、長崎奉行・長谷川権六や長崎代官・末次平蔵の支援により松浦一族で唐津の修験者であった初代宮司青木賢清(かたきよ)が、円山(現在は松の森天満宮の鎮座地)に三社を再興し、長崎の産土神とした。

Wikipedia「鎮西大社諏訪神社」

上記の解説にもあるように、戦国時代には一時社殿が破壊されたこともあった。
(戦国時代のキリスト教徒による神社仏閣の敷地乗っ取り・破壊行為は、このあと訪れる大村地区でも多く起こった。)

江戸時代になってこの神社が長崎の産土神となったのは、地域の住民をすべて氏子にすることで隠れキリシタンに対する取り締まりを一層強化する狙いもあった為らしい。

英文のおみくじもあった。

御朱印を頂いた時に貰ったパンフレットを見たら、日本ではじめてた英文みくじが作られたのは諏訪神社だったとのこと。(大正3年)


諏訪神社の境内はとても広く、様々な末社の他に公園や池もある。

そして変わった狛犬が多く見られる。
この狛犬は尻尾やたてがみの形がとでもユニーク。スフィンクスぽくもあるしライオンぽくもある。

これは立ち上がったり逆立ちしている狛犬。頭上が河童ぽくも見える。



そしてこれは参道の途中にあった「まよいごしらせ石」。
実物は初めて見た。



諏訪神社近くの地下道内には、長崎くんちの傘鉾の絵が展示してある。
傘鉾の意匠にも中国やオランダの文化が交じりあっている様が見れて面白い。

(来訪日:2017/06/04)