シュガーロード紀行 唐津#002 唐津神社と唐津曳山

唐津神社
市街中心部、唐津神社にやってきた。
これは神社のシンボルでもある参道に立つ真っ白な鳥居。
社伝によれば、三韓征伐に際して航海の安全を住吉三神に祈願した神功皇后が、帰朝の後に報謝のため松浦の海浜に宝鏡を縣けて三神を祀ったのに起源を持ち、天平勝宝7年(755年)に、時の領主であった神田宗次が神夢により海浜に赴くと、漂着してきた宝鏡入りの筺を得たので、神功皇后の捧げた鏡であろうと帝に奏聞したところ、9月29日に「唐津大明神」の称号を賜ったという。(中略)
慶長年中に寺沢氏が唐津城を築いて入部すると、同7年(1602年)(または11年(1606年))に当神社を再建、以後唐津藩主の祈願所と定められ、崇敬を受けた。
Wikipedia「唐津神社」
この唐津神社に奉納される秋の例大祭が唐津くんち。おくんちの期間には県内外から数十万人もの見物客が訪れる。
唐津神社では1600年代から例大祭で神輿の御神幸が行われていたが、曳山が曳かれるようになったのは一番曳山の赤獅子が完成した文政2年(1819年)から、現在のように11月の祝日に合わせて 2、3、4日の日程で唐津くんちが開催されるようになったのは昭和43年以降。
曳山は江戸時代後期から明治時代にかけて町ごとに造られ、14台が現存する。
粘土で取った型の上に和紙を張り重ね漆を何度も塗って仕上げる乾漆という手法で作られていて、1台を造るのに現在のお金に換算して1~2億円が費やされたという。
曳山展示場
唐津神社の隣に曳山展示場がある。
曳山はおくんちの3日間以外はここに納められている。
昔は各町ごとに曳山の保管庫があり、保管庫の近所の家は火事で曳山が燃えたりすることがないようにとても神経を使ったらしい。
(館内は撮影自由ということもあって、曳山の前で自撮りしている人が多数いた。)
展示場の一角には曳山の台車の前にぽつんと座る人形が。
これは三番曳山 亀と浦島太郎だが、亀は現在修理作業中との貼り紙があった。修理作業が行われている西の門館にも後程訪れることにする。
本来の姿はこちら。これは過去の唐津くんちで撮った写真。
浦島氏の表情が至ってのどかなのとは対照的に亀の顔が非常に迫力がある。
亀って耳とか牙とかあったっけ…?
亀の上に乗っていたのは浦島の人形ではなく宝珠だった時期もあり、それを証明する絵も残っている。(後述の唐津神祭行列図)
建造当初は浦島の人形が乗っていたが、浦島の着物が唐津藩主から拝領したものだった為に着物を傷めないよう人形を宝珠に変更。しかし宝珠が亀から転げ落ちる為やっぱり人形に戻したという経緯があるらしい。
※2019年追記
現在の曳山展示場は老朽化や耐震性の問題から2021年3月末に閉館、新施設への建て替えが計画されている。新しい展示場は25年4月の開館を目指すとのこと。
「唐津市民会館 現地建て替えへ 曳山展示場も同時に」
https://www.saga-s.co.jp/articles/-/382766
幻の曳山
唐津曳山には現存する14台の他に、「黒獅子」の曳山があった。明治時代に制作された「唐津神祭行列図」にもその姿が描かれている。
(これは曳山展示場に展示してあった行列図の一部)
黒獅子は安政5年の製作、制作順でいうと9番目に作られた曳山だったが、明治20年代のおくんちの際に不幸にもお堀のどぶに落ちてその後廃棄されてしまった模様。
はっきりした記録があまり残っていないので謎の多い曳山だが、地元の方たちによって様々な考察や調査が行われ、近年では地元青年部により黒獅子の曳山復元も試みられているとのこと。
紺屋町 黒獅子考
山内薬局さんのブログ 唐津歳時記より
http://tamatorijisi.web.fc2.com/kurojisikou.html
西の門館
曳山展示場から歩いて数分の場所に西の門館がある。
ここには曳山の修理場があり作業の様子をガラス越しに見学できるようになっている。
現在進行中の作業についての説明や工程表も貼り出されてあった。
説明書きによると、今回飛龍の塗り替えを担当しているのは、日光東照宮など国内の重要文化財の修復を多数手がける小西美術工藝社さんだそう。
作業場がビニールで覆われているのは漆を使うため埃が大敵だからだろう。
展示場に居なかった亀の姿も見ることが出来た。
(来訪日:2018/07/06)
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