シュガーロード紀行 太宰府#001 お菓子の神様の神社
太宰府天満宮本殿の周囲にはさまざまな神様を祀った末社や分社があるが、その中の一つにお菓子の神様を祀る神社がある。
それがこの菓祖中島神社 九州分社。
本社は兵庫県豊岡市にあり、分社は大宰府だけでなく日本各地にあるそう。
お菓子の神様 中嶋神社|とよおかスイーツギャラリー
お社の前に建てられた由来文を読んでみたい。
御祭神は製菓道の守護神として崇敬される田道間守命(たじまもりのみこと)である。
「日本書紀」には田道間守命が第十一代垂仁天皇より「非時香果(ときじくのかぐのこのみ)」を探し求めるよう命じられたとの記述がある。「非時(ときじく)」とは時(季節)を選ばずの意で、「香果(かぐのこのみ)」とは香り高い果実の意を表す。田道間守命は遥々海を渡り幾多の困難と苦労を乗り越えてついに常世国(とこよのくに)で「非時香果」を探し出し急ぎ日本へ戻った。
しかし勅命を受けて十年の歳月が経過しており垂仁天皇は田道間守命が帰国する一年前に残念ながら崩御されていた。そこで田道間守命は垂仁天皇の御陵に「非時香果」を献上していつまでも嘆き悲しみ哭泣しとうとう死に絶えてしまった。
(中略)
田道間守命が持ち帰った「非時香果」は記紀には「今橘(たちばな)という」と記されている。砂糖もなく果物やその加工品などを「菓」と呼んでいた古にもたらされた菓子の起源とも伝えられる「非時香果」の逸話により田道間守命が菓祖とされ崇められてきたのである。
当宮の中島神社は昭和二十九年七月 九州菓子業の守護神として製菓業に携わる多くの方々の希望により、文化の聖地たる当宮の境内に勧請され九州分社として創建された神社である。
太宰府天満宮社務所
日本書紀の序盤部分は、ほぼ神話の時代の話なので正確な年代を確定できない部分も多いが、垂仁天皇は西暦70年頃まで在位していたと考えられている。
天皇在位年と西暦との対照
よって、田道間守が非時香果を探す旅に出たのは西暦60年頃だったと推測できる。なお、のちに志賀島で出土する金印が倭奴国の王に贈られたとされるのが西暦57年頃の出来事。
こちらが中島神社のお社。
鳥居には奉納者として田川市の松尾製菓さんのお名前が刻まれている。
周囲の石の柵には、佐賀の老舗菓子店の経営者のお名前も。
寄進者を記した看板にも、福岡市内をはじめ北九州・久留米・佐賀の菓子店が名前を連ねている。
中島神社の分社は、近いところだと伊万里にもあるようなので、機会があればそちらも是非訪れてみたい。
(来訪日:2018/08/19)
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