シュガーロード紀行 福岡博多#002 承天寺の御饅頭所之碑
鴻臚館は、永昌二年(1047)に放火事件が起こったという記録を最後に、史料の上からは姿を消すが、中国(当時は宋)と博多との交易はその後も盛んに続く。
中世の博多に於いて貿易を行っていたのは商人や寺社だった。
博多区御供所町にある承天寺は、そんな日宋貿易が盛んに行われていた時期に、宋から帰国した聖一国師によって開かれた寺。
仁治三年(1242)、博多祇園山笠の創始者といわれる聖一国師によって開山されました。
建立に際しては、宋からの帰化人で貿易商の謝国明が聖一国師を助け、大宰少弐・藤原資頼が私財を施すなど金銭的に援助しました。
境内には博多織の始祖満田弥三右衛門の碑や聖一国師が伝えたとされる饂飩・蕎麦や饅頭発祥の記念碑がある他、墓所には新派劇の創始者川上音二郎の墓があります。(参拝の方はお入りいただけます。)
– 門前の案内文より-
境内には御饅頭所の碑がある。隣にあるのは饂飩蕎麦発祥之地の碑。
碑の前にも案内板が設置されている。
仁治2年(1241)、中国の宋より帰国した聖一国師が、ある日、禅の布教に出向いた先でとある茶店に立ち寄ったところ、茶店の主人に心づくしの歓待を受けました。
それに喜んだ聖一国師は、南宋から持ち帰った饅頭の製法を教え、「御饅頭所」の看板まで書き与えました。これにより、博多の地が饅頭発祥の地とされています、
看板は現存し、東京の「虎屋」が所蔵。その古い複製が博多松屋に伝えられています。
また、饂飩蕎麦発祥之地の碑についての解説の中には、饂飩・蕎麦に加え羊羹も聖一国師によって伝えられたと書かれている。
例えば饅頭のルーツは中国料理の点心、また羊羹はその字が示す通りもとは羊の羹(あつもの)=スープ。禅宗の寺に於いても食べられるよう獣肉を使わないものへと変化したそれらが禅と共に渡来し、次第に禅寺の外へと広まっていた経緯がある。
御饅頭所の碑自体は比較的新しい。
建立されたのは2008年で福岡市菓子協同組合によって建てられたものとのこと。
(来訪日:2018/08/05)
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