櫛田神社 / 夢野久作「押絵の奇蹟」

櫛田神社 / 夢野久作「押絵の奇蹟」

博多の総鎮守 櫛田神社。
創建は757年、御祭神は大幡大神(櫛田大神)、天照皇大神、素盞嗚大神(祇園大神)。

門をくぐるときに上を見上げると、恵方盤がある。


「押絵の奇蹟」では、物語の重要なファクターである押絵がこの神社に奉納される。

その押絵は、その春の末、博多で名高い山笠のお祭りのある前に櫛田神社の絵馬堂にあがりました。その額はやはり柴忠さんの工夫で厚い硝子張りの箱に封じた上から唐金の網に入れて、絵馬堂の東の正面に、阿古屋の琴責めの人形と並んで上がったのですが、檜の香気のために、何もかも真白になる程色が落ちている阿古屋の人形と見比べますと、ホントに眼が醒めるようで、一時は絵馬堂が人で一パイになるくらい評判が立ったそうで御座います。

夢野久作「押絵の奇蹟」

また、物語の冒頭では、主人公が東京から博多に戻ってくる様子が語られるが、

そのうちに夜が明けかかりますと、私は附添の看護婦さんの寝息を見すまして起き上りまして、高い熱のためにフラフラ致しますのを構わずに、身のまわりのものを纏めて病院を脱け出しました。それから演奏の時に着ておりましたものの上に被布を羽織りましたまま汽車に乗りまして、故郷の九州福岡へ帰りました。
そうして博多駅より二つ手前の筥崎駅で降りまして人目を忍びながら、私の氏神になっております博多の櫛田神社へ参詣致しまして、そこの絵馬堂に掲げてあります二枚の押絵の額ぶちに「お別れ」を致しました。

箱崎から櫛田神社までを徒歩で行くと、多分30分~40分以上かかる。
病気の身で東京から博多までの距離を汽車で移動した後、さらに2駅分のこの距離を歩くのは決して楽ではないだろう。


久作の時代には絵馬堂があったのだろうが、残念ながら現在の櫛田神社の境内には存在しない。
押絵らしきものも見つけきれなかった。

(まだ入ったことがないのだか、境内には「博多歴史館」という資料館がある。もしかしたらここに昔の奉納物なども展示されているかもしれないので、今後機会があれば入ってみようと思う。)

これは別の時期(7月上旬)に撮った写真だが、博多祇園山笠の準備の最中の境内。
博多祇園山笠は櫛田神社の例大祭として奉納される。

これも境内にある銀杏の大木。「櫛田のぎなん」と呼ばれている。


作中に出てくる「阿古屋の琴責め」の芝居が上演される瓢楽座(ひょうがくざ)だが、これは架空の芝居小屋のようだ。
明治以降の博多には複数の芝居小屋があったそうだが、瓢楽座という名前はざっと探した限りだが見つからない。

ただ、当代の千両役者を博多に招いての興行は、実際にあった。

「夢野久作-快人Q作ランド-」に収録の大森邦明氏の文によると、「押絵の奇蹟」の創作においてベースとなったのは、明治15年永楽舎完成の初興業としてかかった市川八百蔵の芝居ではないか、とのこと。

江戸時代にも七代目市川団十郎の芝居が博多で興行されたらしいが、それ以来の大入りだったらしい。