筥崎八幡宮の古い絵葉書を巡る考察
某ネットオークションで筥崎八幡宮の古い絵葉書を入手した。
紙袋入りで全8枚、筥崎八幡宮や参道とその周辺の風景が納められている。
お社は今見る姿と殆ど変わりがないが、それがすごく嬉しくもある。だけどお社の周辺の木立の様子や参道は今の姿とはかなり異なる。
これが紙袋、イラストで描かれた筥崎宮が三色刷りになっている。
気になるのはこれらはいつ頃の写真なのかということ。
紙袋の裏面も、各絵葉書も見てみたが撮影年月日の記載はない。
8枚の中には箱崎水族館の写真もあった。
第13回九州沖縄八県連合共進会の付帯施設として建設され、1910年(明治43年)3月24日に開館した、九州初の本格的な水族館である。2階建て、敷地面積2,300㎡で、博多湾近海のタイ、サバ、タコ等が展示されたほか、ニホンアシカ、ワニ、サンショウウオ等も飼育されていた。夢野久作の『ドグラ・マグラ』に登場する水族館のモデルにもなったとされる。
敷地の大部分が国道3号(当時は国道2号)の拡張にかかったため、1935年(昭和10年)に閉館した(1931年(昭和6年)廃止とする資料もある)。
上記の引用にもあるが、「ドグラ・マグラ」作中で正木博士の溺死体が発見される場所として登場する、箱崎海岸のあの水族館だ。
この水族館の写真があるので、撮影された時期が1910年(明治43年)から1935年(昭和10年)までに絞ることが出来る。
もう一度、一枚一枚の絵葉書を見直してみる。
これに最初に気付くべきだったが、「官幣大社 筥崎八幡宮」とキャプションが入っている。
近代社格制度のもと明治4年(1871年)に県社に列格した。明治18年(1885年)に官幣中社に、大正3年(1914年)に官幣大社に昇格した。
写真に写っている社名を記した石碑にも「官幣大社筥崎宮」と記されている。
これで撮影時期を1914年(大正3年)から1935年(昭和10年)までにさらに絞ることが出来た。
あとヒントになりそうなのは、遠景として映っている海岸付近の風景だろうか。はっきり写っていないので何とも言えないが、汐井の濱付近には建造物もなく、砂浜が広がっている様に見える。
見る人が見れば他にもいろいろな情報が読み取れるのだろうが、とりあえず分かったのはこれくらい。
今から約85年~100年前の写真だと思われる 。
この絵葉書にある風景が現在はどうなっているのか、実際に筥崎宮に出向いての比較と検証も後日行ってみたい。
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