ユメノマタ夢 書ヲ捨テ街二出ル探訪ノ会 第零回開催レポート

ユメノマタ夢 書ヲ捨テ街二出ル探訪ノ会 第零回開催レポート

2019年3月16日、ユメノマタ夢 発足会として第零回イベントを開催しました。

記念すべき初めてのイベント、かつ夢野久作氏の命日3月11日に近い開催だったこともあり、久作氏のお墓参りと福岡で最も古い歴史を持つカフェブラジレイロでの昼食会を行いました。

【当日のタイムテーブル】
10:30~10:45 地下鉄呉服町駅 集合
11:00~ 夢野久作の墓に墓参
11:30~ 昼食・会合

一行寺

地下鉄呉服町駅に集合後、歩いて博多区中呉服町にある一行寺へ。
ここに夢野久作の眠る杉山家の墓所がある。

一行寺は文安元年1444年、室町幕府三代将軍足利義満の血を引く照阿上人により開山された浄土宗のお寺。
久作の命日(3/11)には数日遅れたけれどお墓参り。

(現在も杉山家の方々の墓所であり非常にプライベートな場所だと思うので、ここではお墓の写真は掲載しません。ご興味のある方は是非実際に墓参に行ってみてください。)


一行寺前の電柱には、博多リバイバルプランさんによる「はかた博物館」のこんな掲示も。
以下掲示文の内容を引用。

「杉山茂丸翁七十二年の生涯は策士黒幕としての一生であったが、その策は近頃の策士に見るようなこそこそしたものではなく、着眼点の大きい大策士であった」
逝去翌朝の昭和十年七月二十日付福岡日日新聞記事

「玄洋社葬のとき、頭山満が男涙を流し続けていたのが見ていられなかった…」と息子・夢野久作は綴った。

博多では、「目が覚めているのかどうか分からない夢うつつのボーとしている人」を「夢野久作さん」という。

夢野久作(明治二十二年-昭和十一年)は、父・杉山茂丸に「夢野久作さんの書いたごとある」と自作の小説を評されて、ペンネームにしたという。

日本探偵小説三大奇書の一つに数えられる畢生の奇書「ドグラ・マグラ」をはじめ、怪奇色と幻想性の色濃い作風が夢野久作的。

福岡日日新聞は、現在の西日本新聞社の前身だった会社のひとつ。

(1942年、福岡日日新聞と九州日報社が合併して西日本新聞社となる。なお九州日報は頭山満が創業した福陵新報としてスタートした会社。夢野久作は九州日報の記者をつとめながら執筆活動を行っていた時期もある。)

カフェ・ブラジレイロ

一行寺に墓参した後はランチを食べに博多区店屋町のカフェ・ブラジレイロへ。

このお店は現在福岡で営業する喫茶店の中では一番長い歴史を持つお店。
創業は昭和9年。当時は東中洲の那珂川沿いに2階建ての店があり、夢野久作もブラジレイロをよく訪れていたそう。


人気のメンチカツレツは既に売り切れだったので各々オムライスやハッシュドビーフを注文。オムライスはレギュラーでもこのボリューム。


ランチメニューには小さなカップでコーヒーがついてくる。生クリーム入り。なおハッシュドビーフにはエスプレッソが付く模様。

(お昼の時間帯はかなり混雑するので確実に食べたい方は少し早い時間帯に入店するか予約をおすすめします。)

断片的だけど当日の会合での会話で印象に残ったことをいくつか。
普段の読書について、ミステリー作家について、好きな作家や作品にまつわる聖地巡りの体験談、「ドグラ・マグラ」がどうしても最後まで読み通せない、サピエンス全史について、など。

お会計の時、レジ前に大刀洗平和記念館で開催中の杉山四代(灌園・茂丸・夢野久作・龍丸)の企画展「民ヲ親ニス」のちらしが置いてあるのを発見、一枚頂いてお店を出る。

ここで会は一旦お開きに。

この後一人で少し歩いて初代ブラジレイロのあった場所も見に中洲へ行ってみる。


西大橋のたもとには、原田種夫による「思い出の記」が記された石碑が設置してある。

那珂川沿いの遊歩道には他にも「文士 原田種夫の栞」や大正時代の那珂川周辺の地図や写真を配したモニュメントも。

第零回開催を終えて

ほぼ主催者の思い付きだけで走り出した感のあるこの会、第零回を開催してみて色々と問題点や改善すべき点があることに気付いたので、今回の反省も踏まえてまずはそれらを解決するのが今後の課題です。
参加する方全員に楽しんでもらえるような企画の目処がついたら次回を開催したいと思います。
※このブログ記事はtwitterに投稿した開催レポートを再掲・一部加筆したものです。