旧箱崎駅跡 / 夢野久作「空を飛ぶパラソル」
現在のJR箱崎駅(鹿児島本線)は高架化されているが、以前は駅の場所も約440m博多側にずれた位置にあった。以前の駅の位置を示す石碑があるので訪れてみたいと思う。
博多駅からずっと続く鉄道高架。写真右側上部が線路。
吉塚駅から箱崎駅までの高架下にはJRや関連会社の建物が多い。
駐車場の間にその石碑はあった。
注意しなければ気付かずに通り過ぎてしまうような小さい石碑。
駅名の下に描かれているのは筥崎宮の放生会で売られるガラスのチャンポン。
石碑の裏には箱崎駅の歴史が記されている。
九州で初の鉄道が開通したのが明治22年なので、明治23年に開業した箱崎駅は古参の部類に入る。
何度か改築を重ねながら平成14年までここに箱崎駅があった。
石碑のある位置から妙見通り側を見たところ。筥崎宮の本殿後ろの鳥居が見える。
旧箱崎駅は筥崎宮のちょうど真後ろに当たる位置に建てられていたことがわかる。
地図で見るとわかりやすい。
ところでこの鳥居の横に建っている「大社 筥崎宮」と刻まれた石碑、大社の上部分が四角く削られたようになっている。
削られた部分には「官幣大社」の “官幣” という文字があったと思われる。
(なので、もし削られたとしたら終戦後?だろうか。)
久作の作品の中にも箱崎駅が出てくる。
文中では「筥崎駅」と表記されている。
工学部の正門前は、広い道路を隔てて、二三里の南に在る若杉山の麓まで、一面の水田になっていて、はてしもなく漲り輝く濁水の中に、田植笠が数限りなく散らばっている。その田の中の畦道を、眼の前の道路から一町ばかり向うの鉄道線路まで、パラソルを片手に捧げて、危なっかしい足取りで渡って行く一人の盛装の女がいる。
(中略)
そこいらの田に蠢めいていた田植笠が、一つ二つ持ち上って、不思議そうにその女の姿に見惚れはじめた。……と見るうちに、左手の地蔵松原の向うから、多々羅川の鉄橋を渡って、右手の筥崎駅へ、一直線に驀進して来る下り列車の音が、轟々と近づいて来る気はいである。それにつれて女の足取りも、心持ち小刻みに急ぎ始めたように見えた……。
「空を飛ぶパラソル」が書かれたのは昭和4年(1929年)。
地図中1が若杉山。
当時は見渡す限りの水田だったらしいが、現在は市街地になっているので、建物で視界が遮られ若杉山まで見通すことはできない。
地図中2が多々良川(文中では多々羅川)。現在も鹿児島本線の鉄橋が掛かっている。
地図中3は九州大学箱崎キャンパス(位置は九州帝国大学だった当時から変わっていない)、4が当時の箱崎駅。
……と思う間もなく、真正面に横たわる松原の緑の波の中から、真黒な汽鑵車が、狂気のように白い汽笛を吹き立てつつ、全速力で飛び出して来た。機関手が女の姿を発見したに違いないのだ。
それと見た女は洋傘を、線路の傍の草の上に、拡げたままソッと置いた。下駄を脱ぎ揃えて、その上にビーズ入りのバッグを静かに載せた。そうして右手で襟元を繕いながら、左手で前裾をシッカリと掴むと、白足袋を横すじかいに閃めかして、汽鑵車の前に飛び込もうとしたが、線路の横の砂利に躓つまずいて、バッタリと横向きに倒れた。その拍子に右手で軌条を掴んで起き上りかけたが、何故か又グッタリとなって、軌条のすぐ横の枕木の上に突伏した。そのまま白い両手を向うむきに投げ出して、肩を大きく波打たして、深いため息を一つしたように見えた。
私はそれを石のように固くなったまま見とれていたように思う。身動きは愚か、瞬き一つ出来ないままに……と思う間もなく女の全身に、真黒な汽鑵車の投影が、矢のように蔽いかかった。するとその投影の中から、群青と淡紅色のパラソルが、人魂か何ぞのようにフウーウと美しく浮き出して、二三間高さの空中を左手の方へ、フワリフワリと舞い上って行ったが、その方にチラリと眼を奪われた瞬間に、虚空を劈んざく非常汽笛と、大地を震撼する真黒い音響とが、私の一尺横を暴風のように通過した。
上図の四角で囲った部分の拡大。
地蔵松原は、現在の地蔵松原公園付近か?
松原と呼べるほどたくさんの松の木は残っていないが、確かにこの公園のすぐ横を鹿児島本線が通っている。
5が地蔵松原公園、矢印は汽鑵車の進行方向。
轢死事故が起こった現場は赤丸で囲ったあたりと思われる。
ところで「空を飛ぶパラソル」の2部、「濡れた鯉のぼり」の冒頭の舞台も、この地蔵松原付近。
主人公がこの付近を走る列車の車窓から、墓地に建つ雨に濡れそぼった鯉のぼりを見つけるところから物語が始まる。
現在でもこのあたりには墓地がある。
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